【 本当の私 】

 

 五感で感じ判断できるもの以外の存在を信じない。それ故に五感だけでものごとを判断する現在の地球人類にとっては、自分とは肉体がすべてであり、肉体が消滅する「死」が自分の消滅にもなってしまっています。その基準に於いて、人類のすべての価値は肉体から始まり肉体に終わります。たった一回の人生・・たった70年や80年の間だけの人生・・と思うと、自分の五感の価値観を最優先にして、自分さえ幸せであれば自分の幸福も満たされると思って、そこに「旅の恥はかき捨て」的な思いが湧き上がります。

 しかし私たちの本質は神であり、宇宙の創生からこれからも未来永劫まで生き通す存在であると知り、その「理(ことわり)」を深く探れば、人生の本当の意味に氣づくことでしょう。

 

 宮沢賢治は春と修羅の中で、「人はひとつの青い照明」(あらゆる透明な幽霊の複合体)と言いました。宮沢賢治は霊が見えたので人間が様々な意識体の影響を受けていることを知っていました。この複合体の中に本当の私は潜んでいます。この潜んでいる本当の私を、今後は前面に押し出すことが急務になっています(しかし焦ったら出ません)。

 スピリチャルの世界に於いて、本当の私とは、時に「ハイヤーセルフ」「魂」「スピリット」「全体意識」などの語彙(ごい)で語られますが、自分の意識の核となるべきものと考えれば、真我とも換言できる「魂」と捉えて良いかと思います。魂とは何かが良く解らないという人は「良心の声」と考えても良いでしょう。

 しかし一つの魂という観念はあくまで個的なものであり、やはりそれでは意識は個を脱することはできません。

 

 全体としての、宇宙としての、創造神としての、一なるものとしての意図に基づく唯一絶対の目的があり、その達成のために魂は役割を担っています。個としての魂の役割はもっと大きな自分である全体と繋がっています。

 ただ、それを理解していて霊的真理を求める地球人ですらも、全体と繋がる前提の魂とうまく繋がることができないのが現状です。魂と繋がらなければ全体意識とも繋がらず、全体の流れが観えません。

 しかし、魂が肉体と繋がっているという観念は持たない方がいいかも知れません。これは意識を拡大する手法の問題にしか過ぎないかも知れず一概には言えませんが、魂は肉体とは波長を違えているからです。肉体と波長を共にしているのはマインドですから、自分の中(肉体)に意識を集中し過ぎていると、思考に陥りやすくマインドの波長と繋がりやすくなってしまうからです(瞑想の多くはこの状態にある)。

 人間は魂を意識し、魂は全体を意識していますから、光の子はこのラインを確りと認識しておくことが大切でしょう。

 本当の自分を意識するには、マインドからやってくる「無意識」の性癖を超越し、意識を自分の中から広く全体へと繋げなければなりません。意識的に。