* おもいで(その10) ある南の島で 志摩川友重

 この「おもいで」は少し現代に近くなりまして、今から四〇〇~五○○年くらい前のことと思っています。(志摩川)

 みなさんよくご存じの太平洋の南米寄りの島でのお話のようです。(小金井)

 私達の住んでいる町は四方を海に囲まれた比較的大きな陸地の海沿いの平地にあった。ここは一年中気温も暖かく穏やかな気候にも恵まれていてひじょうに住みやすいところであった。平地では草木も茂り花も咲き自然にも充分恵まれていて、果実や魚もたくさんの収穫があったので食べ物には不自由したことがなかった。

 私は小さい頃この島の中ほどにある岩山に一人でよく遊びにいった。そこでは大人達が金槌と鑿(のみ)を使って岩を彫り、大きな人の形をした像を作っていた。一人一人がそれぞれ一体ずつ担当していた。その像はどれも岩山から仰向けの状態で彫り出されていた。先ず岩の上から像の前面を彫り、次に側面を彫り出し、最後の背面はその像のほんの一部を岩に付けたまま浮かせてその下に潜りこみ彫り進むことになっていた。そのため像を岩山から切り離すときにはかなりの危険性を伴った。

 またせっかく像を作りあげたとしてもそれを下まで運べないようなことになると今までの苦労が水の泡になってしまう。この像を作りだすには彫り始めから最後の運び出しに至るまでの綿密な計画と慎重な作業が絶対に必要であった。私はまだ小さいながらもその作業工程に興味を持ち熱心に見て勉強した。私はいつの間にかそこで働いている大人達と仲良くなっていた。

 山から帰る途中でまだ明るく日が射している場合には、よく道から左に逸れてなだらかな斜面の草の上に腰を下ろしていた。そしていつもそこで自分の住んでいる町の方を眺めていた。この草原の先には緑の樹木が生い茂り、遠くに見える広く青い海は太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。私が住んでいる家は木の陰になっていて見ることはできなかったが、ここから見える景色はとても美しく素晴らしいものであった。私はこの景色が大好きで日が暮れるまで飽きずに遠くの方ばかり眺めていた。
 友達と一緒に遊ぶときにはみんなで連立って町の周辺を歩きまわった。町から少し外れたところにある木のまわりとか港から離れた浜辺とか比較的自然の多い場所が主な行動範囲であった。木が鬱蒼と茂った森の中を恐る恐る入っていくと変わった建物があった。それは神を祭った建物であった。そこで神官をしているという優しそうなお爺さんがその建物の中から出てきて、昔から伝わってきた楽しいお話をいろいろとしてくれた。みんな目を丸くしてそのお爺さんの話に聞き入っていた。そして木の枝で囲まれた風通しのよさそうな建物にみんなを案内して、多くの大切なことが記されているという板を見せてくれた。そこにはたくさんの木の板が奇麗に並べられて保管されていた。私はそれらの板を見ながら『自分がこれらの板を全部読めるようになれたらいいのになあ』なんて思っていた。

 よく晴れた日に一人で私は散歩していた。町の中から海の方に向って進むと急に視界が開けて公園のようなところへ出た。白い綺麗な石畳が海の方に続いていて、その両側には潅木(かんぼく)がたくさん植えられている。前の方にはやはり白い石が堤防のように丁寧に組まれているのが見えた。そしてあの人の形をした石の像が海を背にして等間隔に並んでいる。見渡す限り遠くの方まで並んでいるのが見えたが、どの像もこの島の中心の方を向いている。像はどれも黒く美しく磨かれている。像の目には赤い石が嵌込まれていてまるでそれが光っているかのように見えた(今は目はすべてくり抜かれている…小金井)。その目は夕日にあたると特に美しく輝きとても印象的である。その石畳に続くゆったりとした階段を進んでその堤防のようなところに上がってみると、その右の角で女の子が綺麗に飾られた屋台をだして花を売っていた。

 左の方から親子三人が手をつないで楽しそうに歩いてくるのが見えた。私は父親とは一度も一緒に散歩したことがなかったので、ちょっぴり寂しく羨ましく思った。私は右に曲って少し歩き、海の方を向いて石の欄干にもたれかかった。そこで『この海はどこまで続いているんだろう』『この海の先はどうなっているんだろう』『海の向こうでもやはりここと同じような生活をしているんだろうか』などと考えていた。
 私は家に帰ってから父親に次のように言ってみた。
 「ねえ、今度一緒に散歩しようよ」
 「何言ってんだ!」 「父さんは忙しいんだ!」「散歩なんか母さんとしてもらえ!」「そんなもの一人でもできるだろう!」
 私は言わなければよかったと思った。でも母親は私にこう言ってくれた。
 「母さんでよかったら、一緒に、ねっ!」
母親は優しい目をして私を見ていた。 

 ある日、友達の男の子が筏(いかだ)を作ったからみんなで乗ってみようと言いだした。その筏を見せてもらったが、それは大きくしっかりと頑丈にできていた。天気のいい日に、女の子四人を含む合計八人のいつもの仲間達でその筏に乗って海に漕ぎだした。穏やかな広い海の上で潮風を受けてたいへん気持ちがよかった。だが海の上では景色が単調なこともあって、すぐに一部の仲間達の間には筏漕ぎに飽きる者がでてきた。

 一人の女の子の「おうちに帰りたい」の一言で島に戻ることになった。島に向かって一直線に筏を漕いだ。あともう少しのところで高波が襲ってきた。浅瀬に乗り上げて筏の綱が緩んだ。みんな必死になって筏にしがみついていた。そのまま岩にぶっかった。目の前に岩場があったのでみんな無我夢中でその岩場に飛び移った。筏はばらばらになり流されていった。落着いてから周囲を見回すとそこは洞穴の入口になっていて、その奥行きはそれほどなかった。洞穴の中にまで海水が入ってきていて、そこから外へ歩いて出ることはできなかった。また波は荒く水深も相当ありそうで、ここから泳いで出ることも不可能であった。

 無茶な行動は危険を招くだけであって、ただここで助けを待つより他に良い方法は見つからなかった。こんなことになるとは自分達には想像もできず、食べ物もたいして持ってきていなかったのですぐに底をついた。みんなはすぐにおなかが空いてきたが、そこには他に何も食べることのできる物がなかった。そしていくら待っても誰も助けに来てはくれなかった。
 小さな子供達が泣きだした。自分も心細かったが弱気になるわけにもいかず、気をしっかり持って彼等を励ました。自分には自信がなかったが次のように言った。
 「今、お父さん達が心配していて捜してくれているところだから」「すぐに助けにきてくれるからね」
 一人の女の子の身体が弱ってきた。何も用意されているはずもなく、その子のためにしてやれることといえば、頭を冷やしてあげることぐらいしか思い浮かばなかった。その女の子は聞こえないほどの小さな声で自分のお母さんを繰返し呼んでいた。みんなで一緒にその子の身体の具合が良くなるように祈った。その女の子はだんだんと声が微かになり、呼吸が止まり身体が動かなくなった。誰かが言った。

 「まだ生きてるよね?」「死んじゃいないよね?」
でもその子はそれっきり微動だにしなかった。そのとき私達は自分達の無力さを嫌というほど感じた。しばらくの間沈黙が続いた。
 男の友達が口を開いた。
 「おなかが空き過ぎてどうしようもできない」「こんなところで死ぬのは嫌だよう」
 彼は生きていくためだからと言いながら、死んだ女の子にナイフを持って近付いた。彼はその子の肉を食べようとした。私は直ぐにそれを反対した。彼を止めようとしたが私にはもう自分の身体を動かす元気さえもなかった。彼は肉を食べると、その切れ端をみんなに配り始めた。私にも渡そうとしたが、私はそれを受取らなかった。私は『そんなことをするよりも、むしろ死んだほうがいい』と思った。小さい子供達はそれを何も知らないで食べているようであったが、それを止めるつもりは全くなかった。それよりも最後まで元気で生延びてほしいと思っていた。私は彼に次のように言っておいた。
「もし僕が死んだら、僕の肉も食べていいよ」
私は岩の上に力なく仰向けになって寝た。目を覚ます度に岩の天井を見ながら『まだ生きている』『なかなか死ねないもんだなあ』などと思っていた。
 ふと、洞穴の入口に目をやると、カヌーの先端が見えた。カヌーには大人が一人乗っていた。その人は洞穴の中を覗き込むと顔色が変わった。
 「大丈夫か?」「今、お父さん達を呼んでくるからな」
 彼はこう言ってすぐに戻って行った。
 親達が助けに来てくれた。それまでの待っている時間がものすごく長く感じられた。その中には私の父はいなかった。まず小さい子が先に洞穴から出された。私は動けなかったので数人に抱えられて助け出された。
 港では母が待っていてくれた。私は暖かい大きな布にくるまっていた。私が陸に上げられると、母は私のところに飛んで来て私に抱きついて泣いて喜んだ。
 「こんな酷い目にあって」「身体もこんなに弱ってしまって・・」
 「何も食べるものがなかったので・・、おなかが空いているだけだよ」
私は元気なく小さな声で答えた。
 「嘘をつくんじゃない!」

父の声であった。
「全部、洗いざらい聞いたぞ!」「人の肉を食うなんてことが、よくできたもんだ!」「お前なんか、帰ってこれなければ良かった!」「お前はもう、うちの子でもなんでもないからな!」
 父は言うだけ言うと、どこかへ行ってしまった。
 母は真青な顔をしていた。
 「僕はそんなことはしてないよ」「僕はそれを止めようとしたんだけれど‥」
母は私の言葉を聞くと、一所懸命うなずいていた。母は一人で私を家まで抱いて帰った。
 それから辛い毎日の生活が始まった。父は私に顔を見る度に文句を言った。恥ずかしくて外もおちおち出歩けないとか言って、私の言うことには全く耳をかそうとしなかった。あの仲間達も、それぞれの親の言付けで、あれからもう会うこともできなくなっていた。家の外に出ても世間の空気は冷やかで、知らない子供達に石を投げつけられることもよくあった。それからというもの私はあまり家の外に出なくなった。聞くところによるとあの仲間達の中に自殺した者も出たということであった。
 例の人の形に彫られた像を山から町まで運び出すというので、島の人達はみんな誘いあって見物に行った。私も以前からそれを見るのを楽しみにしていたが、今の私はそんな気分にはなれなかった。私の姉妹達は母と一緒に喜んで町の中心地まで見に行ったが、私は家に残って一人で考えごとをしていた。
『人間て、何ていい加減なんだろう』『不正確な知識で、すぐに他人の言動に左右されてしまう』『もっと真実を追求しようという気持ちはないのかなあ‥』『私は他人を自分と同じ目には会わせたくないなあ』

art by Tomoshige Shimagawa
art by Tomoshige Shimagawa

 何年かたち、身体が大きくなり始めた頃、同じ年代の若者達は漁師になって海に出る者が多かった。私は小さい頃からずうっと憧れて続けてきたあの像を彫る道に進むことにした。
 私はいまだに世間から冷たい目で見られていたので、なかなかその基礎を教えてくれる人が見つからなかった。やっとの思いで教えてくれるという人を捜しあてたが、それは手短に済まされた。あとは子供の頃から自分で見て覚えてきたとおりに彫り進めるしかなかった。
 私は他人とはほとんど話もせず、一人で黙々と岩を彫った。姉が食事と飲み水を用意して山まで持ってきてくれた。

 「どう?進み具合は」
 「なかなか、いいよ」「ここまで、できているから」
 「そうね、このぶんではすぐにでもできあがりそうだわ」「完成が楽しみね」
 ところが、その像は完成はしたものの、全ての努力が徒労に終った。誰もその像の運び出しに協力をしてくれる人はいなかった。私はそのことがあってからもうあの山へは行かなくなった。
 私はそれからしばらくの間一人で家の中で考え込んでいた。姉が心配して話しかけてきても下を向いたまま何も答える気にならなかった。とつぜん私は森の奥で長い間大切に保存されてきたあの木の板のことが気になり始め、子供時代に会ったことのある神官のお爺さんを早速訪ねてみることにした。そのお爺さんはその頃会ったときよりかなり年を取っているように見えたが、子供時代の思い出話をするとすぐにその時のことを思い出してくれた。私はその木の板に記されている字を読めるようになりたいので是非勉強させて欲しいと願い出た。
 「おまえのような奴には教えることはできん」

 そのお爺さんもやはり私に関する噂話を聞いてそれを信じていたので、その理由をもとに私の申し出をすぐに断った。私はあの洞穴の中で起った事実を一所懸命になって説明した。お爺さんは私の真剣な目を見てどうやら私のことを信じてくれる気持ちになったようであった。
 まず建物のまわりの掃除から始まり、水汲みなど雑事をやらされた。いつになったら教えてくれるのかはわからなかったが、無駄口は一つもせずに夢中になって指示されたことをした。そのお爺さんは私を働かせていることで町の人達から陰口を言われていたが、それを知っていても私を追い出そうとはしなかった。
 ある日いつものように掃除をしているとお爺さんが近付いてきてこう言った。
「もうこんなことはしなくていいから中に入りなさい」
それから毎日陽が暮れるまで一日中勉強を続けた。もう掃除などの雑事をする時間も無かった。
 少しずつではあるがその木に記されている文字の読み方がわかるようになってはきたが、文章として読めるようになるまでにはまだかなりの時間が必要であった。大量に保管されている板を見る度に気が遠くなるように思えたが、挫(くじ)けずに勉強に専念した。
 おぼろげながら何とか読めるようになった頃それらの木の板には昔からの知恵や大切な知識がたくさん記録されているということが実感としてわかってきた。
 気になるところを何度も読みかえしているうちにその内容の重大さに気がつき、お爺さんに話しかけた。
 「何でこんなにひじょうに大切なことが記されていたということをみんなに黙っていたのですか?」「これでは宝の持腐れではありませんか」「これは訳して世に出した方が良いのではありませんか?」

 「ああこれか」「これを世に出すのはまだ早いんじゃ」
 「早いのですか?」「それではいつ出したら良いというのですか?」
 「まだ何百年か先になるじゃろう」
 「何百年も・・、ですか?」
 「読み進めばわしの言ったこともこれに記されているのでわかるじゃろうが、まだ今のほとんどの人間にはこれを理解することはできんのじゃ」「理解しようとも思わんじゃろうが」「今これを世に出したところで、ただ相手にされんだけじゃ」
 そこにはこの宇宙そのものの目的や人間がこの世に生まれ出ることになるその原因と法則そして進むべき道、様々な種々の法則などがたくさん記されていた。まさに真理そのものを説いたといってもよい記録が大量に保管されていたのであった。
 私はそれを読めたことがたいへん嬉しかった。読める縁があったことだけでも幸せなことだと思った。私はその喜びを自分のものだけにしておくことはいけないことだと思った。またその知識を自分達だけで独占していることに罪の意識のようなものがあった。私はこれに記されている内容をすぐにでも多くの人達に伝えていかなければいけないものと考えた。
 まず手初めによく顔を合せる同年代の若者に、あの木の板に記されていた人間を含む宇宙の本来の目的と人間のとるべき道についてのひじょうに大切な内容の話をしてみた。
 「他人のことを自分のこと以上に考えろだって?」
 「あんなことをしたおまえがよくそんなことを言えるな!」「馬鹿げてる!」
 どの人に話をしても全く相手にされなかった。誰も皆、私があの洞穴の中で自分が生きていくためにあの子を殺したものとばかり思っていて、それを信じて疑おうとはしなかった。固定観念と先入観の壁を崩すことはできなかった。そして誰もが自分あるいは自分とその仲間達だけの安泰を願っていた。家族にも説明をしてみた。姉達は熱心に聞いてくれていたが、父親が来て私を怒鳴りつけた。

 「今まで何をやっているのかと思っていたが、そんなくだらないことをしていたのか?」「あの爺さんには困ったものだ!」「そんなことより漁にでも出てみろ!」「そうすれば家族の役に少しでも立つだろうが!」
収入が全く無いことについては引け目があったが、あの板を全て解読して少しでも皆の役に立たせることが私の夢となっていたので、それには挫けず勉強を続けた。
 いつものように板に記されている内容を解読を進めていると、島全体が異様に騒がしくなってきているのに気がついた。気になるので様子を伺いに海岸まで出てみると、海の向こうから大勢の男達がやって来てこの島が占領されてしまったとか言って島民が騒いでいた。
 いつの間にかとんでもない他の部族がこの島全体を支配していた。彼等は我々に彼等の神を崇拝するようにと押しつけてきた。彼等はひじょうに気味の悪い感じのする鳥の形をしたものを奉っていた。そして彼等はこの島のかつての支配層達を抱込んだ。もともと平和でのどかな島であったので支配層というよりも島の長といった方がよかったが、いまでは支配者に意のままに操られる完全な部下となり、しかも武力を伴い島民を押えつける役目を持つこととなった。
 彼等は従属の証として人の形をした石像をこの島の人達に倒させた。それもこの島のかつての支配者の指示のもとにするように強要した。次にこの島に残っている神を祭った建物を壊すように命令した。建物は島民によって破壊された。そして大切に保管されていた木の板の大部分は持ち出されて、その一部は海に捨てられ残りはカヌーの部品となった。お爺さんはがっくりと肩をおとし涙を流していた。私がその板の重要性をいくら説明しても島民は誰もそれを聞き入れなかった。

art by Tomoshige Shimagawa
art by Tomoshige Shimagawa

 「もう時代は変わったのさ」「そんな過去のものにしがみついたところで、どうにもならないものだろうに」「この板もこうして使えば結構役に立つものだな」
 私は無知による人間の愚かさと傲慢さが身にしみてよくわかった。彼等は自分達自身の手で自分達のそして人類の大切な宝物を失った。
 私はそれらが全部解読していないうちに失われたことをひじょうに残念に思っていた。
「先人達がせっかく残してくれたのにそれが人々に理解されないうちに消えていくのはとても残念なことです」
 「ああ」「こうなることも、あれに記録されておったのじゃが、やはり残念でならない」
 「えっ、あらかじめわかっていたのですか?」
 「おまえさんがそこに記されていた人物だとは知らなんだ」「読むべき者が読んだ後に直ちに消えさる運命にあるとは知っておったが」
 「でもまだ全部読んではいないのですが」
 「いいんじゃ、全部読む必要なんかは無いのだ」
 「何も教えなくともおまえさんは一番重要なところから読み始めた」「あの板は大切な使命を終えてその生涯を閉じたんだ」「もし先人があの記録を後の世まで残しておきたいと思っていたのならば、石のような丈夫なものに刻んで人目のあたらない地下にでも隠しておいただろうが」「あの板は決して無駄に終ったわけじゃあないんじゃ」

 

 私はもう言葉も出ず、ただ茫然としていた。私のような者にも何か少しでもお役に立つことができれば・・などと考えながら自分の家の方に向って歩きだした。
 かってこの島での地位が高い方にあったやや年配の人物が島の若者を四人ほど引連れて私達の家にやって来た。その若者達はそれぞれ手に槍を一本ずつ持っていた。その年配者が口を開いた。
 「おまえのところの息子はあの神官の爺さんとかなり仲がよかったと聞いているが」「そして我々のやることに盾突くような言動があったとも聞いているが、大丈夫だろうな」「知ってのとおり、新しいマスターから与えられた神を拝むようにとのことになっていることは充分承知していることとは思うが」
 「それは充分承知しているはずでございます」「念のために私の方からもよく話をしておきます」
 私は父の前に立ちその年配者に向かって話しだした。
 「神とは人から与えられるものではなく、自分の内にあるものです」「征服のための手段としての『教え』は信ずることはできません」「あなたも昔は今までの教えを信じ、それを元に人々を指導してきていたじゃないですか」「それともその信仰は簡単に捨てて他に乗換えられるぐらいの小さなものだったんですか」「あのときのあなたの神(自然)への謙虚さは何だったんですか」「私はまだ以前の自然の偉大さを信じそれに対して謙虚になれる教えの方が好きです」「私の家族の信仰の神が変わったとしても私は変わりません」

 彼は腰にさげていたナイフを引抜くとそれで私の胸を刺した。そばにいた若者達の顔から血の気が引いた。父は倒れる私の身体を抱きとめた。彼は一瞬戸惑いの表情を見せたが気をとりなおすとすぐに若者達と家を出ていった。

 私はベッドに寝かされた。べッドといっても木の枠に布を張っただけの簡単なものであった。父親が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
 「大丈夫か?」
 「うん、大丈夫だよ」 「死にはしないよ」
 「苦しくはないか?」
 「そんなことはないけど」「考えてみれば僕って馬鹿だよね」
 父は私の目を見たまま黙っていた。
 「言う通りにしますって言えばこんなことにならずにすんだのに」
 「いいや、おまえは馬鹿じゃあない」「父さんだってずっとおまえと同じことを考えていたんだ」「誰だっておまえと同じことを考えているのにちがいない」「みんなが少しでも勇気を持っていさえすれば、おまえをこんな目に会わすようなことも起こらなかっただろう」「おまえは立派だ」「おまえのような息子を持てたことを父さんは誇りに思っているぞ」
 「それから・・」「皆が噂しているようなことはあの洞穴の中で僕は一切何もしていないから・・」「本当だよ」
 「ああ」「あんな噂のことは嘘に決まっている」「こんなに立派な私の息子があんなことをするわけがない」
 家族が順番に私の顔を見にきた。生きる希望を捨てたわけではないが、だんだんと意識が薄れていくのがわかった。深い眠りに落ちていくような感覚であり、その感覚から抜け出ることはできなかった。

art by Tomoshige Shimagawa
art by Tomoshige Shimagawa

 気がつくと下の方で家族がベッドで横になっている私を囲んで泣いていた。私はその様子を部屋の上から見下していた。すると純白に輝く衣装を纏った女性が近付いてきた。そしてこれからのことについて心の準備のためにいろいろと説明をしてくれた。そのとき私は『自分は死んだ』という確信をはっきりと持つことができた。

 私は行くべきところに行く前にもう一度あの年配者に会ってみておきたかった。私は自分の意思をその女性に伝えた。行きたいと思うと同時に希望したところに瞬間的に移動していた。私は薄暗い部屋の中に浮かんでいた。下の方ではあの年配者と若者達が話をしていた。

 「何もあんなことまでしなくてもいいじゃないですか」
 「あなただってあの人の言いたかった気持ちはわかっているはずでしょう?」
 「同じ島の仲間じゃないですか」
 「いいか、お前たち」「こんどそんなことを言ったら、いくらおまえ達といえども容赦はしないぞ!」「そのときはおまえ達もあいつと同じような目に会うものと思っておけ」「よく覚えておくんだぞ」「いいな、絶対に忘れるんじゃあないぞ!」
 彼は怒りだすとこの部屋を出ていった。彼は隣の部屋で一人で椅子に腰掛けていた。テーブルに両肘をついて頭を両手で抱え込んでいた。彼は身体を震わせ目にはいっぱい涙を溜めていた。彼は考えるよりも先に行動をしてしまうタイプの人間であった。彼は自分のやったことに対してひどく後悔をしているように見えた。強気な彼は表面だけのものであった。私はもう彼の様子を見続けることをやめにしようと思った。私がここにいてもお互いに何のプラスにもならないことであった。
 私はもうこの世界から離れなければいけないと思った。私の胸の中はこれからの世界への旅立ちの想いと期待とでいっぱいになっていた。私はあの女性の案内に従うことにした。

管理人の所感

いつの時代でも人からどう思われているか?

ということに人は価値観をもってしまうようです。
人肉を食べたと疑われた少年も人は自分を分かってくれないと悩みます。

一度張られたレッテルはいつまでも剥がれることなく付きまとい、後ろ指を差されます。


しかし本来、私たちは共に喜び共に悲しむ中で学んでいます。

 

起こっている現象はそれを見ている人、聞いている人、すべての人に関わっています。

私たちが生きている人生という舞台は一つの舞台をその舞台に上がっている人全員で演じています。役割を演じているのです。

 

人肉を食べる人、食べられる人、非難する人される人、その現象は独自に動いているのではなく、それぞれが繋がっているのです。

実際の舞台では脚本家や監督だけでなく舞台の役者も、ストーリーと結末を知っています。私たちの人生も多少のアドリブはありますが魂の個性なき純粋意識(魂の核)はその脚本(進化の意図)を知ってることでしょう。

 

知らないのは心(ハート)に棲むマインドです。魂はストーリーも結末も知らない鈍重な意識に覆われて身動きができなくなっています。しかし魂はその意識や環境のギャップの中で磨かれて、より全体との繋がりを密にして進化していきます。

地球の波動上昇の中で、心がマインドから放たれ魂の核に当たる個性なき純粋意識と共に行動する人と、更に魂から分離して自分の中だけに入って行く人たちのギャップが大きくなりつつあります。

現代はこの旧来の意識と明るい未来へと進む意識とが、別々の方向に勢いを付けて進んでいます。


アメリカ発のリーマンショックが起きた原因が、今また中国経済のごまかしの操作が二進も三進もいかなくなって、中国発で起きようとしています。

日本でも消費税が上がり、TPPでこの国は益々大国の奴隷状態に入ろうとしています。

このようにどちらかというと現象面は悪い方の現象だけがざわざわと目立つために、地球の状況は益々悪化していってお先真っ暗のようにさえ見えます。

目に見える現象としては、事実もっともっと悪化の一途をたどることでしょう。地球の波動上昇と波動が合わない人たちの悪あがきが始まります。

 

しかし一方で、なかなか現象としては見えませんが好転もしているのです。確実に心の浄化が始まり魂の研磨が加速している人々が増えてきています。自分や自分の周りを冷静に見て行けば、きっとそれに氣づくことでしょう。
それをもっと加速すのは私たちの意識の持ち方です。

400年、500年前というこの物語の時代では少年たちを非難して、周りの評価・世間体を優先するのは致し方ないかも知れません。今の時代もほとんど変っていませんから。

しかし今私たちは、自分と他人に起きていること、それを見ている自分、それを聞いている自分、それらの経験全てが自分の意識の進化に関わることとして周りで起ききたのだと氣づかなければならないでしょう。

 

人を恨んだり非難したりする意識は自分と他人を別ける意識ですから、全体を理性で観ることは難しくなります。
本来私たちが生まれたとき、私たちはもっと自由で純粋でした。マインドというエデンの園のリンゴの毒に影響されず、もっと自由でした。人と自分を比較するということもしませんでした。しかし社会の枠が、制限が、私たちに枠をはめ、制限を設けさせてきました。

 

私たちが競争社会に生きているということは、自分と他人を別ける社会にいるということです。純粋な魂の世界では他と自分は一つに繋がっているので、このような社会の分離ルールや常識に身を置くこと自体が、本当の自分を生きていないことになります。幻想としての自分を生きていることになります。
しかしだからと言ってその社会の枠から逸脱すると生き辛く、仲間になれない、人の評価をとれず社会の中でも自分の価値が下がったような錯覚を覚えました。それで私たちは意識に枠をはめ、純粋な意識は自由な活動を止めてしまいました。

 

純粋な意識の活動が止まると、純粋意識は偽我であるマインドという幻想意識に取って代わられます。

それを避けるには絶対的に前向きの姿勢です。流れに乗って前に進むとき、人は思考を使わなくなります。つまり、憎まず、怒らず、心配せず、怨まず、妬まず、いらいらしたり咎めたりもしなくなるのです。

 

ではどうしたら良いのか。それはそうなることが難しい自分の心を心の外から観ることです。そして自分の周りで起きていること、関わっていること、関わっている仲間、その共時性の波と流れに常に意識を置く癖を付けましょう。

それは換言すれば、幻想の自分の中からではなく、純粋な魂、真我の中から本当の自分である全体意識を観るのことです。

art by Yuki Shogaki
art by Yuki Shogaki

神官のお爺さんから見せてもらった「大切なことが記されているという板」は、志摩川さんの魂の中に、文書としてではなく真理として、今も実在しているようです。

 

次の「おもいで(その11)」でもそうなのですが、いつも志摩川さんの転生は、この東の果ての島国に焦点が合わされています。

 

木の板に書いてあった言葉も真理として変換され、いまここで、きっと新しい地球の構築に役立てられることでしょう。