おもいで(その7) 西の国から東の果ての島国に(1-往路)志摩川友重

 私にはとても優しい姉がいて小さいころからいつも二人で楽しく遊んでいた。姉は私の側にいるときは常に笑顔を絶やさず、目は美しく瞳は奇麗に澄んでいた。姉は十七歳頃になると嫁にいかされることになり、そのとき明るい笑顔で手を振りながら家を出ていった。姉が嫁にいったので両親と弟の四人家族ということになるはずであるが、弟はいつも外を出歩いていて家には全くと言っていいほど帰ってこないので、実際は両親と三人で暮らしている。
 ここら辺りの土地はひじょうに痩せて石や岩ばかりがゴロゴロとしているので、村の人達は畑を開いて作物を育てるよりはむしろそれぞれ手に職をつけてそれで生活をしていた。どの家も石と木でできた粗末なものであった。父は木を加工していろいろなものを作っていたので、私はそれを見よう見真似で覚えさせられ家具を作ることになった。私の作っていた家具は極めて単純で簡単なものであったが、それでもけっこう皆の役には立っていた。

 私が仕事を覚えると父はすぐに働かなくなり
「おまえも自分に子供ができたらそいつに仕事をやらせて俺みたいにしろ」
「それまでは一所懸命働け」
と言って毎日何もせずのんびりと暮すようになった。しかし母は弟がなかなか家に帰ってこないことをブツブツと文句ばかり言っていたので、父はそれを聞くたびに機嫌が悪くなりいつも一人で黙り込んでいた。
 ある日、弟が村のそばまで来ているという話が近所の人達から伝わってきた。すると早速父は私に
「弟が家に帰る気になるよう説得してこい」
「あいつが帰ってくればブツブツ言っている妻もおとなしくなるだろう」
と言って有無を言わせず私を弟のいるところへ向かわせた。

 狭く曲りくねった歩きにくい道を泥濘(ぬかるみ)にはまらないように気をつけながら進み、長い時間かかって隣町に到着した。隣町の建物は自分の住んでいるところのものとは違ってどれもみな立派なものばかりであった。私は通行人に弟の居場所を尋ねた。
 教えられたとおりに集会所のような建物に入ってみると、その中で弟は大勢の聴衆の前に堂々と立ち真剣な表情で何かの話をしていた。そこにはいろいろな階層の老若男女が集り、全ての人々が我をも忘れて熱心に弟の話に聞き入っていた。私は弟の話の邪魔をしないように静かに後ろ側の空いている席に座り、その話が終わるまで待つことにした。その話の内容は初めて聞く私にはよくわからないところも多々あったが、話している弟の誠実さと熱意にうたれて心と身体が芯から震えるようであった。私には弟を彼の話を待ち望んでいる人達から引き離して家に連れて帰るなんていうことはもうできなかった。
 話が終って皆が帰りはじめた頃、弟は私の姿に気がついて私のいるところに近付いて来た。そしてとても嬉しそうに手を差し出して私の手を握り私を抱き締めて喜んだ。私は弟達の一行と同行することになった。彼等は皆穏やかで他人のことにも気を使える人達であったので、共に行動できることが私にはひじょうに光栄に感じられた。私は今までに経験したこともない素晴らしい充実感で心が満たされていた。
 弟の話の内容や態度‘行動の全てに人の心の奥まで揺り動かすものがあって、聞きに集まっている人達 弟は誰にも別け隔てなく兄弟姉妹のように接していたが、周囲の人達の中には弟の話に熱中するあまり弟のことをまるで神様のように崇拝している者達もいたようである。しかし私は弟のことを自分が生きていくうえでの先生と思い、弟の話そうとしていることをいつでも冷静に判断できるように務めていた。誰もが弟の話に夢中になりそれを自分のものにしようと頑張っていた。

 だが弟の話の中でただ一つだけ気になることがあった。弟は私に次のように言っていた。
「私はこれからある理由で処刑されることになりましょう」
「私はそれをお受けしますが、その後再び目の前に戻ってまいります」
 私はそれが弟の冗談であればいいと心の中で願っていたが、弟自身の口から出た言葉は全て真実であると信じていたことも事実であって、やはりこれも同様に必ず起こることだと信じるほかなかった。その心の中の願いは誰にも話さなかった。
 いよいよその予告された日が近付いてくるにつれて弟への心配が日増しに強くなってきた。いつものことならば弟の行動について全く反対はしないのだが、今度ばかりは黙ってそのままにさせておくことができなかった。捕まって殺されることがわかっている場所に近付かないよう弟に一所懸命説得を試みた。しかし弟の決意は固くその意志を変えようとはしなかった。


 弟は処刑されることがわかっていながらその道を進んだ。私は弟の後について行くことができず、立ち止まって弟達一行が歩いて行く後ろ姿をじっと見つめていた。私は弟が処刑されるところをどうしても見たくなかった。
 私は弟が捕まったという知らせを聞いた。あまりの衝撃と絶望で私は壁の下で身体を丸めて小さくなっていた。食欲は勿論のこと向上欲等一切の欲望も湧いてこなかった。弟の処刑を見るために多くの人達が私の側を駆け抜けて行った。私はその人達の心の中のことを考えるとひじょうに残念に思えた。

by Shimagawa
by Shimagawa

 

 暫くするとあの一行が戻って来たが、その中に弟の姿が見えた。仲間達は弟が復活したとか言っていた。私にはそれが信じられず何を馬鹿なことを言っているんだと思った。しかし誰も責めず弟の言ったことに関しての追及もせずに弟が無事に戻って来たことを素直に喜んだ。彼等のうちの一人が私にどうしてあの一部始終を見なかったのかと聞いてきた。
 『人が処刑されようとしているときよく見る気になるもんだなあ』『興味と知識欲だけが優先して人の心なんか忘れてしまったのかなあ』と思ったが、黙ったままその問掛けには何も答えなかった。私は彼等と行動を共にする気にはもうなれなかった。

 弟はここでの活動を終え遠い地に赴くつもりなので一緒に行くかと私に尋ねた。私は弟に従うことにした。私と弟の二人は大きな商船に乗せてもらい東の果てを目指した。船では様々な風俗衣装を身に付けた人達と乗合わせることができて、異国出身の人達の面白い話に興味が尽きなかった。そのため時間の経つのも忘れ、長い船旅にも飽きずに楽しく過ごせた。
 私達は東の果てにあると言われている海に囲まれた国に到着した。上陸した街はひじょうに活気のあるところで人々は皆きびきびと動きまわり生き生きと暮らしていた。そこは木々も多く美しい植物ときれいな水に恵まれていて人が暮らすのには理想この上ない素晴らしいところであった。
 私は弟に従って都に向かって歩きだした。どこも辺り一面植物が繁茂していて木や草花の途絶えるところがないことが驚きであった。その草木の美しさに目を見張るばかりであった。


 少し寂しげな街に入ると私と弟は役所の門の前に立ち止まった。私は不安になりここには近付かない方がよいのではないかと言うと、弟は表情を少しも変えず堂々と一人で門の中に入っていった。私は心配しながら弟が出て来るのを門の前で待っていた。中から誰かが私に入るように催促した。この先どうなるのか不安であったが、弟が中にいるので逆らうこともできず、案内されるままその後についていった。案内された部屋には食事がたくさん用意されていてこれから宴会が始まろうとしているところであった。中央に位の高そうな立派な身なりをした人が座っていて、私にゆったりと寛いでいくようにと言った。弟の姿があったので近くに腰を下ろした。何故かわからぬままに厚いもてなしを受け、久し振りにゆっくりと休ませてもらった。
 翌日の朝、門の前に二人分の駕寵が用意されていて、護衛付きで都まで送ってもらえることになった。同行していただく人達には申し訳なく思ったが、せっかくの好意を断るわけにもいかなかった。もし断ったらこの異国の地から追い出されるかもしれないと思った。弟はいつものとおり心の動揺は全くないかのように落着いていて、穏やかで優しい表情をしていた。

 ゆっくりと進んだので長い行程のようでもあったが、いろいろと皆にお世話になりながら楽に旅をさせてもらった。都に着いた時、私はこの道中で一番身体が辛そうであった人に近付いて礼を言った。その人は礼の言葉を初めて言われたのか感激して泣き出してしまった。弟は私に「辛く苦しそうな人も力が有り余って元気そうな人も皆同じように苦労を味わいながら私達を助けて下さいました」と言ってそのまま何もせずに歩きだした。私は何も言えなくなって黙って弟の後について行くことになった。

by Shimagawa
by Shimagawa

 宮殿というよりも大きな邸宅のようなところに案内された。白い小石が敷き詰められた小木が数本ところどころに植えられている壁に囲まれた庭をいくつか通って建物に入った。その庭の一つ一つは狭く小石と小木だけの単純な構成であったが不思議と奇麗で心が落着かされるものがあった。また部屋も狭くこじんまりとした印象を受け、壁の上方には小枝の先にお団子を剌して束ねたような形の奇麗な装飾があった。そこには二人の人物が椅子に座っていたが、黄色と青を基調とした極彩色の美しい織物の変わった形の着物を着ていた。頭の上には見たこともないようなキラキラと輝く冠を載せていた。

  弟は二人の方を向いてしゃがむと両手を床につけて頭を下げた。私がそれを見てキョトンとして立っていると、弟は私に自分と同じことをするように言った。私が弟と同じ格好をするとそのうちの一人が喋りだした。
「よくこんなに遠いところまでいらっしゃいました」「貴方がご活躍されたお話はこちらまで届いております」「貴方のような方に御目に掛れて光栄です」「ぜひ私どもにもいろいろなお話をお聞かせ下さい」
 先ず弟は快く迎え入れられたことへの感謝とこれからこの国で活動していきたいという自分の希望を述べた。弟と彼等の話は辺りが暗くなるまで延々と続けられた。私はただおとなしく黙って横に座っているだけであった。夜になって彼等との話が終わると我々二人は別棟の屋敷に案内された。
 彼等は弟の話を聞きたくて何回も弟を呼び出した。私は迷路のように壁に囲まれたあのたくさん続いている庭を毎日ぶらぶらと歩きまわっていた。何もすることはなかったが庭を眺めているだけでも結構楽しかった。

 ある日珍しく私が呼び出された。私に何の用があるのか不思議であったが、使者に素直について行くことにした。あの複雑な庭も案内なしで迷わず通れたので使者も目を丸くして驚いていた。彼等の目の前に出ると、私は弟に教えられたとおりの格好で挨拶をした。すると私に小さな巻物のようなものを家来から手渡された。それを開いてみるとそこにはこの国独特の角張った太い字が書かれていた。この国では珍しく字を縦に書くということは聞いていたが、それを読めるような知識は全く持ち合わせてはいなかった。話す言葉はほとんど同じでほぼ完ぺきに通じ合うのに、文字の形がまるっきり異なりその共通点が少しもないのでその不便さを痛感させられた。私はそれに何と書かれているのかを知りたかったので、側に立っている人に私のかわりに読んでもらった。この国への私の入国を許可し、この国での法の下での私の自由を保障するという内容であった。私はそれを聞くとすぐにお礼の言葉を述べた。
 この国の習慣に不馴れでいつのまにか立上がっている自分に気がついたので座り直した。私がこの国の字が読めないことを理由に自分の母国の字にて横に併記して欲しい旨提案した。早速私の意図をくみ取っていただいてその下書きを書いてくるように言われた。私は人をお借りして部屋で訳文を書くのに手伝ってもらうことにした。


 翌日私が書いた下書きを持参したところ私の母国の字を読める人が誰もいなかったため、この件については後日にまわすことになった。部屋に帰ってことの一部始終を弟に話すと弟は私に次のように言った。
 「他人を信じきれないところが少しでもあると自分も他人から同じようなことをされることになります」「そしてそれが始まると際限がありません」
私はそれを聞くとハッとした。
 次に呼ばれたとき、私は預かっていた書類を返してその理由を説明した。
 「その書類はいただかなくても、お気持ちをお受けするだけで充分でございます」「そのお気持ちを大切にしてご迷惑とならないよう頑張っていくつもりでございます」
「ほうっ」「弟さんと何かあったのですか?」
「はい」「お疑いしているということは絶対にありませんが」
と一言断っておいてから、私は弟と交わした会話の内容を正確に説明した。その二人は私の弟のことを唯々感心するばかりであった。

 私達二人は再び旅立ことになった。弟はいつのまにか若者達を引き連れていた。弟は海沿いの道をこのまま進んで行くつもりだと言っていた。若者達は皆明るく希望に満ちていた。
 途中たいへん賑やかな町に立寄った。暑いせいもあって町民達はひじょうに華やかな色彩の薄い布でできた着物を着ていた。そこで私はある女性と親しくなった。弟は私とその女性が仲良くなったのを見て、幸せになるようにと言って私を残して目的地に向かった。その町の人達も弟のことをよく知っていたのには驚かされた。その女性は弟達がいなくなると私の弟の悪口を言い始めた。
 「あんなに綺麗事を並べたって誰もそんなことできるわけないじゃないか」「あいつだって心の中では何を考えているのかわかりゃあしない」「きっと人の心をたぶらかそうとしているにきまっている」
 「人を騙してよっぽどいい思いをしてきたんだろうに」
 私は弟がこのように言われるのに耐えきれず、腹が立って何も言わずにその女性の家を飛出した。私が腹を立てたのはこのときがおそらく初めてのことと思われる。
 私が弟達に合流すると、弟は険しい顔をして私に「あの女性はどうしたのですか」と言った。私はいくら本当のことを言ったとしても結果としてはあの女性に対する悪口になるのではないかと思って「もういいんです」とだけ言った。弟は怒りだして「あの女性のところに今直ぐ帰りなさい」と私に言った。私は弟の迫力に負けて何も言えずただ弟の言葉に従う他はなかった。私は落胆してとぼとぼともと来た道をまた引返していった。
 その女性は酒を飲んで他の男といっしょにひっくり返って横になっていた。その女性の家を出て町の中を一人で歩いてみたが自分とは全く縁のない世界の中を歩いているような感じを受けた。弟が私の思いを察してくれなかったことが心の中でくすぶっていた。そして私の心の中から次第に明るさが消えていった。人の考え方や習慣も違う異国の地で一人でいるよりも、まだ会えるうちに弟達ともう一度合流しておいた方がよいと思った。もし断られたならばそのときまた考えればよいと思った。
 やっとの思いで弟達に追いついた。私は手短にあの女性の様子とあそこを出ることになった理由を説明した。弟は静かに黙って聞いていた。「一緒に行きますか?」とだけ言った。私は何も言わずに首を縦に振った。

 私が下を向いて元気なさそうに歩いていると、仲間の女性が私に話しかけてきた。
 「お身体、大丈夫ですか」
 「ええ」「どこへ向かっているのか御存知ですか」
 「えっ、知らないんですか」「理想の村を作りに行くってことも」
 「ええ」「実は父に弟を連れもどすように言われて出て来たのですが、結局弟の後についてここまで来てしまったのですよ」
 「あの方のお兄さんなんですか」
 「ええ、そうなんです」
 私は相変らず暗い調子で答えていた。
 私は気落ちして希望も何もかも無くして性格もいちだんと暗くなってきた。これから先どうなってもいいとまで思うようになっていた。弟はそれを察したのか私に近寄ってきた。
 「もしよろしかったら残った家族の面倒をみていただきたいのですが、お願いしてもよろしいでしょうか」
 「はい」
 「申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします」
 私は家に戻ることにした。

 管理人の所感

 世の中の人は概ね、自分の立場がいかに特異なものであるとか、過去の名誉や名声、自分が人よりもいかに類稀(たぐいまれ)な人生を送ったり、経験をしたり、優れているかといったことを聞きもしないのに率先して話したがるものです。しかし一方で、聞いても話さない人、常に謙虚でいる人も僅かですがいるものです。

 

by Yuki Shougaki
by Yuki Shougaki

 <その7>の話しはシルクロードにまつわる話しでもあります。
 日本の地は紀元前7世紀前後して始まったイスラエルの失われた民族の大移動によって移住してきた人々の定住の場ともなったようです。
またその民族の移動過程で当然中国や韓国を通って来たと思われます(この物語の話はそれよりずっと後と思える=管理人)。

 今回の私(管理人)の所感は<その7>のストーリーとは掛け離れますが、今回は日本人のルーツに纏わるヒントも書かれていたことに関連して日本のことに触れてみたいと思いました。

 

 私が寄稿している雑誌「宇宙の理」における宇宙創造神からの霊界通信では、日本民族のルーツはムー大陸からの子孫とされています。確かに遠い昔の日本人のルーツを辿るとムー大陸からであるにしても、1万年以上前に海に沈んだ民族が直接日本に来たとは考えられません。何故ならば地理上、当時既に日本という土地が現在の形と位置にあったかは謎と思えるからです。また上記の書籍からの調査によるまでもなく、その後に様々な民族が入り混在してきたということが考えられます。

 今回の「おもいで」で、志摩川さんたちの移動は船によるものでしたが、それ以前の移動はシルクロードを数十年、或いはそれ以上かけて渡ってきたと思われ、その過程で中国・朝鮮の人々との異人種交配がなされたことが考えられます。朝鮮の人々は天皇の起源が朝鮮だと言いますが、このような誤解もこの流れから生じているのだと思います。

 

 遺伝子の割合ということは別としても、神社・神道にみられる日本の文化とユダヤ文化の類似性は通常我々が認識する恒常の尺度をはるかに超えたものであり、その偶然の一致的数々の類似の奇跡を鑑(かんが)みるに、日本とユダヤの深い関係は否定しようがありません。それを認めようとしないのは、善きにせよ悪しきにせよ、何らかの意図というものを意識せざるを得ないのです。  参考:日本とユダヤのハーモニー

 

必要とされる地球外種族遺伝子

 

 アメリカ人チャネラーのリサ・ロイヤルがチャネルする意識体ジャーメインによると、多くの惑星は通常一つの人種のみ住む場合がほとんどだそうです。しかし地球という惑星はプレアデスやシリウスなどの惑星と異なって様々の星々の人々の集合と言います(実際、白人、黒人、黄色人種などがいる)。これは地球という星が実験であれ何であれ或る目的をもってして遺伝子による意識の伝播故に仕組まれたことと思います。何故ならば、既にみられる兆候・・世界の雛型である日本で起こる新しい地球への移行の祭典の序章の兆候は、それが地球全体に及ぶことが予測されますが、それが意識の伝播という形で銀河系宇宙へ、更に島宇宙へと及ぶものと考えるからです。

 

 日本という国は単一民族であるという説はとても有力ですが、宇宙の進化の摂理と地球の使命を遺伝子の観点から考えるにそれはあり得ないことです。日本で起きることが世界に意識の変革として伝播・普及するには遺伝子の共有が不可欠だからです(あくまで日本が世界の中心とした場合)。

 ここで私が書いているアセンションと遺伝子による惑星間意識の伝播の話は、誰も言っていないし、どの書籍にも書いてありませんので(私が知らないだけかも知らないが・・)俄かには信じられないかもしれません。ただ、先述したリサ・ロイヤルの著書である「プリズム・オブ・リラ」の中でプレアデス星人やシリウス星人、琴座星人などの関与が遺伝子故であることを記した記載がありますのでそれを紹介します。

【・・一方、地球では地球人創造のプロジェクトが、(「創造の礎たち」から命を受けた)琴座星人を肉体レベルの指導者として、本格的に指導していた。このプロジェクトには、琴座星人の指導の下、シリウス星人をはじめとする肉体を持つ複数の宇宙人星団が加わっていた。地球人創造(にある或る目的達成=管理人)にあたり、地球の土着種族と地球外種族双方の遺伝子が必要なことが明らかになり、プロジェクト実施者たちはプレアデス星人に接触した(P93)】

 

 地球外種族とは一惑星の生命体ではありません。先述した「宇宙の理」で取次の神を通した宇宙創造神からの通信でも、地球人は様々の地球外の星々から降ろされた厄介者との記述があるように複数である必要があります。

 これはたとえ、地球のアセンションが全宇宙に影響を与えるものであっても、地球人のことは地球人だけで変えていかなければならないという、宇宙の絶対的法則があるからです(私たち一人ひとりの進化・成長とまったく同じ法則)。つまり、他の宇宙の存在(宇宙人)は私たち地球人にヒントを与えたりささやかな援助はできても、新しい地球の建設に直接手を加えることはできません(ユートピアが本決まりとなった後の空中軽挙は別と考える)。実際に地球をユートピアへと意識を上昇させるのはアセンション後もそこに住み続ける地球人自らの意識の上昇が前提になることは自明なのです。

 しかし地球にユートピアの厄介者を肉体のまま降ろしたのは、地球はカルマのある星ですからカルマを作った異星人を地球人として降ろして同化させる必要があったからではないかと思うのです。カルマのある星はカルマがある人が住む星なのです。光の子やワンダラーと呼ばれている存在はすべてそのような存在と解釈します。

 これだけ宇宙人の存在が明白になり、オバマ大統領も宇宙人の存在を正式に公言したのに、これまでもずっと宇宙人はただじっと見守っていたのは、自分のことは自分で為さねばならないという宇宙の基本法則故なのです。

(地球人として生まれるためにはカルマが必要だが、イエス・キリストなど霊格高き魂は元々カルマはないにしても、やはり地球人として肉体を持つためには何らかのカルマを背負わなければならず、何らかの方策を講じたと考えられる)

 

苦しみの根源(人類の仕事)

 

 私たちの苦しみは、それが社会的であれ自分個人であれ、すべては一人ひとりの「意識の統一・統合」がなされないところから来ています。国や社会ではなく、すべては個人個人の意識に終始します。統合とは自他の一体であり「愛と調和」の成就です。それは命の源、調和の活動のエネルギーとなります。しかし現実に私たちの自分一人の意識の統合の進捗状況ひとつとってみても、真の自分と繋がれず、「船頭多くして船山に登る」の意識形成を脱することができないでいます。考えても考えても一つの明確で曇りなき信念に至らず、マインドの信念を作り出して迷っては道を誤まり混乱を作り続けています。

 私たちは自分の中の人格統一ができていないのに、社会に対しても、社会が一つになっていないで混乱を招いていることを指摘ていします。しかし社会の分離の原因は私たち個的内部の人格不統一の結果なのであり、この自己の分離の現実から脱却することが私の旅・私たち社会の旅のひとつのゴールなのです。

 社会が混乱しているのは、社会が調和していないからですが、それは社会の責任ではありません。社会しか見ないのは現代医学の対症療法と同じ過ちです。本来は社会の細胞でもある私たち一人ひとり心の不統一という不調和の問題なのです。

 地球人が一つになる過程で人類の交配と交雑(異系交配)が進み、人種も一つになって初めて真の人類の一体化が完成するという考えもありますが、それは間違いです。それはいわゆる民族浄化と繋がります。統合とは排除ではありません。排除とは手術で削除するという対症療法です。統合とは超越なのであり、許しであり受け容れることで変容をもたらします。
 民族も宗教も一人ひとりの性格も、異なる存在はすべて人類の学びの教材です。「違い」が問題を生み出しているのは多人種間の心の側に根本原因があります。あらゆる組織に分離を作り出しているのは分離する意識が元となっています。人種も宗教も形を違えながらも受け入れるという「超越心」のみが、真の調和と一体化を実現します。

 私たちの心が好きと感じ嫌いと感じるもののすべては、神が存在を許したものです。罪も同じです。存在しているものはすべて存在をその時点では許されています。しかし神が許しているものの存在を私たちは嫌悪して許しません。確かにそれはそのような学びの過程であっても、そんな私たちの嫌悪感すらも神は許されています。しかし神の御心と立場を同じく出来ていないという現実、全体との不統一との現実も知り、認めなくてはなりません。

 

自分を愛すること

 

 それは自分一人の中でも同じことが言えます。自分の中に居る統一されていない人格、自分を愛せない人格が、争いの種となって社会の忌まわしい事件、内乱、戦争へと反映されているのです。

 自分を愛することが大切であるとはニューエイジの世界ではよく言われることです。しかし彼らはそれを観念的に綴るだけで明確に指摘できていません。それを簡潔に科学的に(分かるように)言うとするとどういうことなのでしょうか?

 自分を愛すること、許すことは大切なことです。現象界は私たちの心の反映なので、自分を愛せないと、愛せない自分の反映を自分の周りに引きつけることになります。「自分の周りにはどうしてこんなに自分が嫌いと思う人たちが集まってくるのだろうか?」と思ったら、それは自分を愛していない心の反映ではないかと疑る必要があるでしょう。自分を愛せないことで自分を非難する必要はまったくありませんが、教材としての意識が引き寄せられていることを見抜く心が大切です。何故ならそれはまた一歩、神の心に近づいたことを意味しているからです。

 

 他民族の存在に於いて、私たち地球人がすべき一体化とは、いわゆる「民族浄化」ではありません。他の民族を受け入れつつ、その違いを 許し“超越” することです。許しと超越こそがすべての愛と和(統合)への近道なのです。

 

先述した書籍 (プリズム・オブ・リラ) より、更に統合について語られたところを引用します。

 

【 我々のうち誰も「別の惑星」から、地球へやって来た者などいない。広大無辺の「大いなる源」にその起源を持つ。たとえば「我々はプレアデス出身である」といえば、「大いなる自己」の全体性を否定することになる。もし、我々の存在がこの地球に帰属するものではないと考えたならば、この地における肉体としての自己は混乱に陥る。(中略)・・

 ・・他の惑星から来たと主張する人がいたなら、その人には、この地球との絆を受け入れるようにと助言したい。なぜなら、その人は紛れもなく、この地球上で生きることを選択しているからである。まさに現実的な意味合いにおいて、我々地球人は「統合」の模範を示すことができる種族と見なされている。

 人類は大地に属する生命体であると同時に、聖なる存在でもある。そして、神であると同時に人でもある。人類はこれまで、克服が不可能と思われた艱難にも対応できることを証明してきた。まさに人類は、祝福に値する存在である。・・・(P148-149)】

 

 日本民族が、祝福の尖兵となるのです。

 

日本の混乱

 

 日本人は他の国の人々と比較して、出しゃばらない、全体の中に身を置く、常に全体のことを考えるという美徳を明確に持っていますが、やはり我も多く、日々のニュースではこれでも日本人かというほどの身勝手な行為が目につきます。

 

 このような混乱は何故に起きているのでしょうか?

 日本人が日本人としての原型とも言える和の遺伝子だけを持って、日本だけが日本人だけの調和を実現し、日本の存在の意義を誇示していればユートピアへの尖兵となるという日本の使命を果たされるのでしょうか? 

 実は世の中はそんなに甘いものではないと思えるのです。世界は人類のものであり、日本人だけが平和を実現できていればいいのではありません。そんなことは宇宙の法則からして起こり得るはずがありません。世界人類が、日本民族が、一緒になって世界平和を実現し、この不良極まりない星界から、ユートピアという新しい地球を構築するには、共に邪心を超越して苦しみや艱難を分け合い、共有する必要があるのです。

 

 なぜ世界で稀有なほどに平和を愛し調和を重んじる民族が、原爆投下という悲劇を受け入れ、中国や朝鮮から非難を受けつつも、ただただ謝って我慢をしているのでしょうか。戦後の焼け野原から世界第2位の経済大国にまで駆け上った一方で、アメリカからはまるで奴隷としての扱いを受け、何も言えず、何故に日本政府は売国行為を繰り返すのでしょうか。そういった理不尽な構造が、TPPや機密保護法、移民法の実現とともにまた一歩日本を脅かしていくことでしょう。

 

 しかし日本の役割の一つに、このような仕打ちの中でも、単に反発するということではなく、もちろんひれ伏すだけではなく、反日本人的な分子意識を超越しつつ統一すべく全体意識と共に意識を共有するという試練があるように感じるのです。 

 日本は世界の中心で世界の雛型ですが、この民族は謙虚にそれを受け入れていて、決してそれを海外などに鼓舞しようとしていません。それこそが、尖兵として任されている意識の大本なのです。