おもいで(その6-1) 1300年前の中国で1 志摩川友重

志摩川さんによると今回の「おもいで」は1300年ほどさかのぼった中国でのことです。昔の中国の一部階級の特異な性的風習について書かれています。後半(次回6-2で公開)の死後霊界での話しが素晴らしいです。そのときから今日すでに志摩川さんが東の海の彼方に浮かぶ小さな島に生まれることが決まっていたようで、その予言がこのとき言い渡されました。この話は(その6-2)に続きます。

 私が7歳のとき、家の前に見たこともないような姿になった人らしきものがいるのを見つけた。その肌はスベスベしているが、手足が極端に小さくなっていて体を丸めたまま道端に横になっている。顔を見ると眼のありそうなところには筋があるだけで、口の辺りは歯が抜け、髪の毛が伸びていて人間の娘のようであった。その姿は異様であり友達が棒でつついたり石を投げたりすると体を捩(よじ)らせながら泣き出した。私はその娘が可哀想に思えたので通りがかりの人を呼んできたが、どの人も見るも汚らわしい物があるかのようにしてその娘を見て見ぬ振りしたままどこかへ立ち去って行った。
 家に入ると使用人達が「誰がこんなところに・・」などとぶつぶつ文句を言っていた。私があの娘のことについて聞こうとすると、使用人達は「あんなもの、見るものじゃありません」と言って少しも相手にはしてくれなかった。私は家の奥に入っていつも優しくしてくれる祖母のところまで聞きに行った。
 祖母はすぐに家の前に出てその娘を見ると「この寒いのに着るものさえ身に着けずに可哀想に」と言って、使用人達にその娘を家に入れて体を暖めて食事を与えるように命令をした。使用人達は渋々祖母の命令に従った。
 父が帰ってきて事の一切を知ると、父は祖母に文句を言い出した。
「世間に変な噂でも出たらどうするのですか」
「もし私がそれを使っているように思われでもしたら、外を出歩けないじゃないですか」「役人に引き取りにきてもらいますから」「もうこんなことは二度としないで下さいよ」
祖母は父にこう言われると何も反論せずそのまま黙っていた。
 役人らしい人達が来ると彼等はその娘を面倒臭そうな態度で引き連れて行った。乱暴に扱っているのか娘の泣き声が暫く聞こえ、段々とその声が小さくなっていった。

 

 それからというもの夜になると家に何かを投げつける者や家に向かって悪口を叫びかける者が多くなってきた。白昼堂々と文句を言いにくる者もいた。妬(ねた)み心がもとになっている者が大部分だったようだが、なかには人道上許せずに思いあまって怒りをぶつけにくる者もいた。父が利用するだけ利用しておいていらなくなって道に捨てたと思っているらしい。自分の家の前で非難の的となるとわかっているようなことをわざわざする人はいないと思うが、それが世間で大きな噂となっているらしい。またこのようなことが繰り返されたが、私達を陥れようとして誰かがわざとやっているらしい。
 真昼から一日中家の戸を全部閉めて家族全員外に出ないで家の中でじっとしていた。父は身に覚えの無い非難を浴びて家族の中でもいちばん辛そうであった。父は私に祖母には近づかないように言い、堪えようのない悔しさを祖母にぶつけていた。私は自分が言い出したことであるので祖母にあたらないように一所懸命父に懇願したが、父はそれをやめようとはしなかった。祖母は元来明るくて優しい性格であったが、そのとき以来無口になり家の奥に引き寵もりっきりとなり殆ど顔を出さないようになった。それは亡くなるまで変わらなかった。

 十三歳の頃、偶然私は自分の親戚にあたるという一人暮らしのお爺さんと知り合いになった。私は自宅の居心地をとても悪く感じていたので、家を抜け出してこのお爺さんの住まいをよく訪ねるようになった。お爺さんのところに行くといつもニコニコとたいへん和やかに迎え入れてくれて、何も余計な指図はしないので私はゆったりとくつろいで過ごすことができた。お爺さんの目はものすごく優しく深く、目を見ていると心の芯から洗われるような感じを受けた。そのためお爺さんと二人で目を見つめ合うことがよくあり、こんなときには真の幸福を発見したような感覚が浮かび上がってきて心も落ち着き穏やかな気分で満たされた。そのときはいつも時間のたつのも忘れていた。
 私は自分の家にいる時間よりもそのお爺さんの家にいる時間の方が長くなってきて、二人はもう友達のようになっていた。かなり親密になった頃、お爺さんは私を家のすぐ裏にある古い建物に案内した。その建物の中には簡単な長い机と長椅子が順序よく並べてあったので、昔ここを誰かが勉強塾として使っていたのだろうと思った。ここはお爺さんの住まいよりも広く天井も高いのでのびのびと過ごすことができた。


 ある日お爺さんは私と同じかやや下くらいの歳と思われる女の子を連れてきた。「どこから来たの?」と聞いてみたが「わからないの」と答えた。私とその女の子はすぐに友達になった。女の子は私がそこに遊びに行くのをいつも楽しそうに待っていた。ただ不思議なことに衣服を着けていなかったが、お爺さんが部屋の隅で火を熾(おこ)していたので寒くはないようだった。女の子はこの建物の中でいつも嬉しそうに元気一杯騒ぎまわっていた。
 いつものように建物の中に入ると、その女の子は椅子に仰向けに縛られていた。女の子は普段と同じように笑っていたので、冗談でわざと縛られている格好をしているのかと思った。お爺さんがその子の顔を覗くように促したので、女の子に近づいて言われたとおりにしてみた。私と女の子の目が合うとその子はとても嬉しそうな表情をした。そのときお爺さんは焼けた鉄の棒を女の子の目に突き刺した。私はその惨さに衝撃を受けひどく腹が立ち、そのお爺さんに夢中で抗議した。しかしお爺さんはいつものようにニコニコしていて、悪いことをしたというような表情は全くしていなかった。お爺さんの目は邪気が無く優しく、目が合うと私は何も言えなくなってしまった。
 女の子のことが心配で翌日様子を見に行くと彼女は建物の隅で小さくなっていた。人としての機能をほとんど奪われて、彼女は人間から男の道具として変えられていった。

 暫くぶりにそのお爺さんのところを訪問してみると、あの女の子の他にも彼女と同じような姿にされた女性が数人増えていた。皆自分の力だけでは思うように動けず、自分達の不幸を心の中で呪っているようであった。そして最初にあの女の子がいなくなり、その後一人ずつ人数が減っていった。そのお爺さんは自慢げにたくさんのお金を見せた。お爺さんは女性達をどこからか買って連れてきて彼女達の姿を道具に変え、それを売って生計を立てていたのであった。
 数日後その建物の中にこっそりと入ってみると、自分より歳上と思われる女性が何も身に着けない姿のまま立っていた。その女性はあのお爺さんに助けられたのだと思い込んでいた。
「今まで一日中少しの休みもなくて、きつい仕事を年がら年中やらされていたの」「ここのお爺さんは私をここに連れてきてから、私に何の指図もしないわ」「私を自由にさせておいてくれるの」「ここは殺風景なところだけど私には天国だわ」
 私は彼女がここにいるとどんな目に会わされるのか勿論わかっていたので、過去にここで他の女性達が何をされたか事細かに説明をした。彼女は真青になって恐怖のあまり何も言えなくなってしまった。私は彼女に辺りが暗くなったら急いで逃げるように言っておいた。

 二日か三日ほど後、私はあのお爺さんに呼び出された。建物の中にはあの女性が縛られていた。逃げるには逃げたが、行った先が悪かったらしい。彼女は私との会話の内容を洗いざらい全部しゃべってしまったらしい。お爺さんは私を縛りつけ、彼女への残虐な行為が終ってから私に言った。
「人間は牛とか馬とか動物を飼い馴らして、利用するだけ利用した後、役に立たなくなれば殺して捨てるだろうが」「動物は良くて人間は何故悪い」「動物や魚をたくさん殺して食っている人間に比べたら俺はまだはるかにましなほうだ」「俺のやっていることがいけないと言うなら、こいつらを密に待ち望んでいる奴等がたくさんいることを忘れるんじゃない」「綺麗事を並べて白い目で見る奴等もいるが、本当は内心こういうのを欲しがっているのさ」「立派なことを言ったって、この世の中の連中はみんな汚い奴等ばかりだ」「こいつらはこんな汚れた世の中とは隔絶されて過ごせるんだから、けっこう幸せなのかも知れない」
 こう言いながら私の縄を解いていった。そのお爺さんは私には何も危害は加えなかった。彼女を最後に見だのは食べ物を口の中に無理やり押し込まれているときだった。私はこのことがあってから、もうこのお爺さんのところへ行かなくなってしまった。

 あのお爺さんが亡くなったと聞くと、あの建物の中のことが急に気になりはじめた。もしあのお爺さんが相変らず同じことをやっていたとすると、あの建物の中に女性達が取り残されている可能性があると思ったからである。私はすぐにその建物に向かった。その建物の中では姿を変えられた女性達が腹を空かせても何もできずに泣いていた。私の力ではどうしようもできなかったので、父を呼んできた。父は暫くの間唖然として見ていた。
 「もう大丈夫だ」「役人に来てもらうからもう心配することはない」「但し、ここで見たことは誰にも言うんじゃないぞ」
 父は私にこう言って私を家に帰した。
 何日か過ぎて父の知り合いの役人に会ったので、あの建物の中にいた女性達がその後どうなったのかを尋ねてみた。すると役人のところには話が全くいってないことがわかった。父は彼に一所懸命言い訳をしていた。
「子供の言うことなので、本気にしてなかったんですよ」「私は全然その建物のところには行ったことはないんですよ」「今、子供に案内させますから」
結局、私か案内役として父と彼と三人であの建物まで行くことになった。父は建物の中を見てびっくりした振りをしていた。中では姿を変えられた女性達が飢えと渇きのために死んでいた。連絡を受けた人達が来て、彼女達の亡き骸を板の上に乗せて運んでいった。父は『うちの親類の中からこんなことをする者が出るなんて』と呟いていた。

 私か十七歳のときに、国が変わったとか支配者が変わったとか『隋』になったとか周囲の人達がいろいろと言い合っていたが、上の方が変わったといってもこの町の庶民の暮しには全く変化が見られなかった。
 私は今度は自分の伯父にあたる人物のところに遊びにいくようになっていた。その伯父は家族もなく一人であったが、使用人を数人働かせていた。何か商いをしていたようで、ときどきおそく帰ってくることもあったが、家にいるときはいつも私にいろいろと面白い話をしてくれた。気性が激しく強気なところがあるので一見乱暴者という印象を受けたが、この世を乗り切っていく方法を私にいろいろと一所懸命教え、それとともに私にもっと頑張るように夢中で激励をしてくれた。
 ある日、彼は例の姿を変えられた女性を二人買ってきた。私にそのうちの一人を使うよう勧めた。私がそんなことは可哀想でできないと断ると、彼は突然癇癪(かんしゃく)玉を起こしたように怒りだした。彼は「人の折角の好意を無にするつもりなのか!」と怒鳴り、一向にその怒りをしずめようとはせず、私の気持ちを説明しようとしても全くそれを聞き入れようともしなかった。
 その後、その伯父が身体の具合が急に悪くなったと聞いたので、見舞に行くことにした。伯父は寝たきりとなり、使用人が彼の世話をしていた。見舞に行くごとに伯父の身体は段々と弱くなっていった。伯父の気性は変わっていないが、もう元気も出せずほとんど動くことができなくなっていた。伯父は私の見ている前で静かに息を引き取った。父に伯父の死を知らせると「家の名に恥じないよう、盛大な葬儀を挙げなければならない」と言って、伯父の葬儀の支度を始めた。

 二十歳を過ぎた頃、父が亡くなり、私と母と兄の三人と数名の使用人達とで暮らすことになった。
 私はいつも『どうして誰もが自分のことしか考えていないのだろう』と思っていた。『人が苦しむところをみても何とも思わないのがどうしても理解できない』『どうして他人のことを自分のことと同じように考えることができないのだろうか』『人間同志の争いをやめなければ国の興亡は永遠に繰返されるし、いくら国が栄えたとしても誰も幸せにはなれない』『真の幸せは国の興亡とは全く関係がないところにある』『こんなに大勢の人がいながら、真の幸せについて誰も考えようとしないのであろうか』『真の幸せを求める人はいないのであろうか』『このまま変わらなければ、みんな滅んでしまうかも知れない』
 ある天気のいい日に、行商人らしき者が例の姿を道具に変えられた女性を売りにやって来た。人に紹介されたと言っていたので誰かの嫌がらせで寄こされたのだろうとは思ったが、その女性の姿を見るとひじょうに気の毒に思えたので彼女を助ける意味で引き取った。

 いつのまにか彼女のお腹が段々と大きくなってきて、子供が生まれた。男の子であった。母は赤ん坊をだいじに育てた。その子が大きくなってくると、兄はその子に、「お前の親父はお前を○○女に生ませたんだぞ」「お前のお袋は○○女だ」
と毎日のように教えこんでいた。そのためその子はしだいに私を恨むようになり、顔が合う度に私を睨みっけていた。

 私は兄の目論見で或る女性と結婚したことにさせられた。その女性は兄とは仲が良くいつも兄の側にいた。その女性は形の上だけは私の妻となり、よその人達には仲の良さそうな振りをしていたが、いつも私には「私はこの家の嫁となった者です」「あなたのような汚らわしい方とは口もききたくありません」「側に近寄らないで下さいませんか」と言って私を避けていた。
 あるとき私は買った女性が居ないことに気がついた。彼女が下に落ちたのではないかと思ってあちこち捜しまわったが見つからなかった。兄は私の困っている顔を見ると「あれは売り払ったぞ」「これでせいせいした」とニヤニヤしながら言った。私はやっとのことで売った先を聞きだして大急ぎでそこに跳んで行ったが、どこか遠くに売られた後だった。こうなっては、彼女が良い主人に買われて幸せになることを祈るしかなかった。望み薄ではあったが。

 兄やあの男の子や形だけの妻には相手にもされないし、母もただ黙っているだけなので、家に帰っても楽しいことは何一つなかった。生きていく希望も張合いも全くなくなっていた。この家族の中を生き抜いていくことは地獄より酷いと思っていた。私は一つだけ思い残したことがあったので、紙に『あの男の子は私の兄が生ませた子だ』と書残して自分の部屋で首を吊った。
 気がつくと下では使用人が私の遺体を下ろしていた。兄がいろいろと指図をしていた。側では母が泣き崩れていた。私の妻となった女性は表情を全く変えていなかった。葬儀は盛大に執行なわれた。近所の人達が来ると形だけの妻はわざと泣き伏して悲しいふりをしていた。
 私は最初に行くべきところに案内された。私は死んでもまだ悔しい思いが残っていた。相手を呪うような気持ちにはなれなかったが、彼等が来るまでここに留まってもう一度話し合ってみようかと思った。
 何年も過ぎたと思われる頃に、母が亡くなってやって来た。母は「自分で生ませた子を弟のせいにするなんて」とぶつぶつ言っていたが、すぐにどこかへ行ってしまった。

 (この章は「その6-2」へと続きます)

管理人の所感

 

中国には何とも奇抜な風習があったものです。性の奴隷としての慣習ですが、日本軍の慰安婦を指して中韓両国が最近反日政策からか「性的奴隷(sex slave)」と呼んでいることは周知のとおりです。しかし「中国人は限度というものを知らない」と昔中国に住んでいた人から聞きましたが、そんな片鱗が今回の「おもいで」からは窺われます。

 現代から見れば何とも嘘のような話ですが、中国は今でも世界一の人身売買の国で、性奴隷されるケースも実際にあるようです。以下は氣の小さな人はクリックしないでください。 http://www.bllackz.com/2011/09/blog-post_30.html
 

 私たちは誰でもどんなにか残酷なことでも、それが風習となってしまうと、当たり前のように受け入れてしまう場合があります。流石にこの時代の中国でもこの奇習は一部の特権階級の嗜好であり、一般市民は受け入れていたわけではないようですが、奇習に羨みもあるとの記述もあるように立場変わればということで従ってしまう人が多いと言えるようです。

 そのときに初めは従っていたものが突然目覚めて社会常識に毅然と反旗をひるがえす人と、それができない人とは何が違うのでしょうか。反日に関して言えば、日本の悪行は非難しても自らのことは棚に上げるようなことに何故後ろめたさを感じないのでしょうか?
 
 この1300年前のときも異様な姿に変えられた娘たちを見て、多くの人はかわいそうだと感じてはいるようです。何か通常ではない行為だと。しかしその慈悲の想いが愛ある行動へと移せない原因の一つは「世間体」であることがこの文書からはよく伝わってきます。

 祖母がかわいそうにと家に入れたことを知った志摩川少年の父は家に帰るなり祖母に「世間に変な噂でも出たらどうするのですか」「もし私がそれを使っているように思われでもしたら、外を出歩けないじゃないですか」と、文句を言い出したのです。人への憐れみより自分の世間体を重んじる、という心が常識となってしまっています。しかしこれは魂の想いとはかけ離れたものです。もしもそれに反発すれば「そんなきれい事を言っていると世の中渡れないぞ」との声が返ってきます。

 

社会が変わらないのは・・・

 貧富の差があまりなかった日本も似なくていいところまでアメリカの指図によって構造改革が進んできて、貧富の差が大きくなってきました。地球社会は今も昔も一部の権力者によって牛耳られ、多くの民衆が搾取されてきました。現代は一見して民主主義社会のようであり、多くの人々は民主主義が機能していて民意の反映されている政治が行われていると思っています。

 しかし実際にはそうではなく、地球社会は一部の権力者によって思い通りに好き勝手操られているというのが現状なのです。それは今の日本も同じなのです。そういった現実をなくしていくためにデモを起こしたり革命を起こしたりすることで社会を変えていくというのが今までのやり方でした。そして一部ではそんな革命がうまく運んできて、民主主義はより充実されてきたと最近まで思っていました。

 しかし実際には多くの人は氣づいていませんが、幾多の革命も、明治維新などの大きな変革も、権力による統治を進めるための方途として利用されてきたのでした。明治維新によって日本は道を大きく踏み外したのです (また 竜馬が聖人君子のようにもてはやされているのも陰謀である。NHK及び多くの マスコミはその片棒を担いでいる )。それも日本人が選択したことなのですが、今もそれと同じことをアメリカ(実際にはその黒幕ですが)に操られて日本はしようとしているのです。

 何故革命などで社会の本質が変わっていないのかというと、社会が反映されている心が変わっていないからです。心のあり方を忘れた制度の変更は真の進化に寄与しないで、操られていくのです。

 ですから日本の魂を捨てるということが、心を洗うことなく制度をコントロールするという経緯に於いて行われてしまうのです。

 

最適な制度は

 

 国それぞれによって最適な制度というものは変わってきます。私は民主化運動を虐殺で排除した天安門事件を決して肯定しませんが、投票箱を置いて民主化すればそれで政治はうまくいくというアメリカの考え方も完全に間違っています。それは結局うまくいかないのです。それを市場原理や競争原理、構造改革などで自分たちの失敗を逃れようとしているのです。民主主義が現人類によってうまくいかないのは、人類が標榜する多数決による民主化とはマインドのエゴであれ何であれ、多数決を至上の制度として肯定されているからです。しかし実際には、多数決は不統一の心の妥協です。

 そのような心の準備段階を踏まえて、神は猿には民主主義は無理とわかっていたので彼らの遺伝子にボス社会という本能を埋め込んだのです。人類は動物から人への移行段階にあり、真の民主主義への移行段階として「法制度を元にした疑似民主主義」が施行されていると言えるのです。実際にユートピアの政治体系というものは現地球人が考えているような民主主義で統治されてはいないのです(もっと霊的に心の中で完成されているもの)。

 9.11後にアメリカが民主化を謳(うた)って侵略したイラクの民主化にアメリカは失敗し(そもそもアメリカの民主主義は偽物)、13.5臆の人民を抱える中国も民主化しようとしてもうまくいきません。そもそも多民族の心の垣根を取り払うことが民主主義に優先されなければなりません。ここではこの話はこれ以上触れませんが、民度を上げる、心を洗う、愛の心を育むという努力がいかなる政策よりも最優先されるべきなのです。

  

 中国社会は賄賂社会であることは多くの人の知るところですが、押し並べて私たち人類は初めに感じる直観的な善悪の判断、「こんなことをしても良いのだろうか?」「私は間違っていないか?」という直観を無視して、公正・平等の道の選択肢に見向きもせず、マインドの好き気ままに生きてしまいました。それは魂の声である良心の呵責(かしゃく)に蓋をして、耳を傾けないからでした。
 中国のみならず、そのことに心を痛め、全体のエネルギーの流れを汲まず、マインド保身の声しか聞こえずに魂からの直観に従った行動を取れない人が人類全体のほとんどを占めていることが、世の中がユートピアへと至らない最大の原因となっています。

 人生は人間が考えて決め、決めた方向にコントロールするよう努力することで運営するものであると今の地球人は信じています。それで最後はマインドの声に従ってしまいます。

 

 志摩川さんのお爺さんは言いました。

「人間は牛とか馬とか動物を飼い馴らして、利用するだけ利用した後、役に立たなくなれば殺して捨てるだろうが」「動物は良くて人間は何故悪い」「動物や魚をたくさん殺して食っている人間に比べたら俺はまだはるかにましなほうだ」「俺のやっていることがいけないと言うなら、こいつらを密に待ち望んでいる奴等がたくさんいることを忘れるんじゃない」と。

 これはマインドの声の典型です。魂の声を無視し、人の所為にして、自分勝手な論理で武装するのです。お爺さんが言う「こいつら」の行為こそが、人間に与えられている自由意思の濫用であることを欺瞞に附して、自らの行為を正当化しています。

 

二つの自由

 

 私たちには自由があります。しかしその自由には全く異なる二つの自由を選択する自由があるのだということを多くの人は知りません。

 全体意識から魂を通じてやってくる、私たちが良心の声と言っている波動を受け入れる自由と、マインドという個のエゴを優先させた自由です。

 動物は未熟故にこの二つのどちらも選択できないように本能によって全体として動くように設定されています。それゆえに動物には自由も、自由を選択しようとする思考も持つことも許されていません。

 人間になって初めて自由意思が持てるのですが、私たちは何千年という間、自分の中という限定されたマインドの自由意思を優先させてきて、それが当たり前のようになっているのです。今、この自由意思の使い方を大転換させる時に来ているのです。これは新しい地球に向かおうとする人類には必須のことなのです。

「そんなきれい事を言っていると世の中渡れないぞ」・・という声が聞こえてきそうですが、古い地球に生きたければそれも良いとしても、今後再生される地球は一つしかありません。新しい地球だけです。

 

アダムとイブの進化の物語

 

 私たちの遠い祖先にあたると伝えられ、旧約聖書ではヤハウェイが初めに創ったとされているアダムとイブの物語のメッセージを、キリスト教徒さえも正しく理解していません。

 蛇に騙されて毒りんごを食したことが人類の初めての罪のようにされていますが、大きな間違いです。それはこれから始まる人類の苦しみの予言ではあっても、これは人類進化の必然の逸話なのです。

 肉体を持った三次元の現象界は同じ現象界といえども、霊界とは異なって修行の場として設定されています。人が死んで霊界に入るときに前世を見せられて反省させられても、霊界から肉体を持って生まれるときにはすべてを忘れさせられるのは、あの世は反省の場であり、この世は修行の場であることの証です(その1参照)。

 三次元では子供が大人へと成長するにあたって試練が必要のように、人類全体の成長のためにも試練が必要であり、リンゴを食することで人類はそれを受け入れたのです。リングを食したこと、それは人類の成長へ向けた一つの儀式であったのです。

 リンゴを食した時、私たちはマインドを身につけたのです。私たちは神として自立するために神の手綱から放れて、自由意思の使用という成長の鍵を獲得しました。しかしそれはその代償として、マインドという幻想の媒体を元々は純真だった心に背負ったということです。そしてそのマインドという媒体こそが、エゴの棲むエゴの安住の地であったのです。

 

自由への旅立ち

 

 私たちが真の自由を得るためには、自由とは何かを知る必要があります。前述しましたように自由には大きく分けて二つあります。エゴ(偽我)の自由と全体(大我)の自由です。本来は全体の流れに乗った自由が真の不自由なき自由であり、普段私たちが経験している自由とは、自由と自由が反目して作り出す不自由と背中合わせの自由であり、偽りの自由です。

 真の自由という一極の世界に入るために私たちはいま不自由が存在する二極の世界に住んでいます。私たちが住んでいる世界の自由は実は幻想の自由であるのですが、私たちはそれこそが本当の自由だと信じていて、不自由の存在を当然のごとく認めてしまっています。

 民主主義が人と人との反目を調整する妥協の政策であるにも関わらずそれが絶対と信じているのと同じように、自由には不自由が当然付きものだと頑なに信じて疑いません。

 そして言います。「自由には責任がある」と。いえいえ真の自由には責任などありません。真の自由は一極の自由なので自由しか存在せず、責任が存在する余地はないのです。責任が必要なのはいま私たちが経験している二極の自由、不自由を生み出す自由の世界です。

 この条件付けを払拭できる許容力を人類が身につけない限り、真の自由も真の愛も真のユートピアも実現することはありません。

 そんな私たちは、私たちのマインドの自由・・・つまり幻想の自由を求めて進みます。当然そこに自由と自由がぶつかり合う不自由が出現し争いが生じます。私たちは何千年に亘って自分の自由を成就するためにそれをコントロールする方途を考え出してきました。相手の自由をコントロールすることに躍起になって、より強い圧力、権力、武力をもって相手の自由を奪ってきました。

 

 本来、私たちがとるべきことは、自分の意思や行動、他人の意思や行動をコントロールすることではありません。マインドの意思、マインドの自由は分断しているために人の数だけ存在しています。ですからそれをコントロールして一つにまとめるということは本来出来ないことなのです。 

 為すべきことは、既に私たちにの中に共通に存在している真の自由がある立ち位置に立つことです。幻想の自由を “超越” したとき、私たちはそれを成すことができるのです。

 

社会を変える光のネットワーク

 

 社会を変えるには一人ひとりの心を洗い、マインドの誘惑、マインドの恐れを払拭する心を育まなければならないのです。そしてこれは権力の下で育てられてきた大人たちが為す教育下ではとても成就することはできません。

 私たち一人ひとりの氣づきがなければなりません。氣づきが起きる人には氣づきが起きる環境が与えられています。氣づきの起きない人には別の役割が与えられています。

 スピリチャルの道に入って真理を探究している私たちの多くは氣づきの道を歩んでいると想定できます。そして歩み続けるには一つの条件があります。覚悟を裏付けする強い意志です。天の「意思」を実現する「意志」です。

 霊界は類が類を呼ぶ、友が友を呼ぶの法則が如実に顕れるところです。それから比べたら地球上はその法則が可なり緩められたところです。

 今回の物語で、霊界の記述で次のような件(くだり)があります。

【何年も過ぎたと思われる頃に、母が亡くなってやって来た。母は「自分で生ませた子を弟のせいにするなんて」とぶつぶつ言っていたが、すぐにどこかへ行ってしまった。】

 

 霊界は霊位の上昇で集まる霊格の差が細かくランク付けされ、家族といえども死後の入り口で挨拶程度はできてもゆっくりと一緒に暮らすということはできません(波長が違うので霊界では直ぐにその人の相応しい場所に移動してしまう。死んで家族と再会できるとは余り望まない方が賢明である。悪行を積んだ人が死後どうなるかも良く分かる)。

 一方で地上は、地上も霊界ほど極端ではないにしろ、民族の個性を見てもお分かりのように、民族性を持って集合意識を作っていて、民族の中に中心を持ち、中心と波動を共にすることで役割に邁進することができます。

 日本という地球の中心に生を受けた私たちには、私たちなりの使命があり、それを果たすときに来ています。光のネットワークの元に光の戦士が集う時が近づいています。

 この物語の中国のように、そのほとんどが世間体を気にして、内なる自分に蓋をしていたのでは社会は変貌していかないのです。