前回、おもいで17の続きで、この前生のラストです(志摩川)。
駅を出ると、すぐに生まれ故郷の母のいる町に向かって歩きだした。『母にもうすぐ会える』『母に恩返しができる』という思いで胸がいっぱいになった。しだいしだいに足速になってきたが、職をさがしに町から出てきたときとは違って足取りは軽かった。懐かしい町並が見えてきた。出てきたときの半分の時間もかかっていないような気がした。町の中に入ると思わずアパートの方に向かって走りだしたが、途中で息切れがしてきた。この勢いのまま部屋に入って母を驚かせるのは良くないことだと思ったので、ゆっくり歩いて呼吸を落着かせることにした。
息が楽になったころアパートの前に着いた。床屋の小父さんへの挨拶は後回しにして母に先に会うことにした。階段を上って扉の前に立った。軽くノックして扉のノブを回したが、鍵が掛かっていた。
「どなた?」
中から見知らぬ女性が出てきたので、私はびっくりした。
「母に会いに戻ってきたのですが‥」「ひょっとして、母をお世話して下ださっている方ですか?」
「お母さま‥つて?」「うちには子供達と主人しかいませんが」
中では子供達が遊びまわっていた。
「部屋をお間違いではないですか」「もう一度よくお確めになったら」
彼女は扉を閉めた。私はその扉の前でしばらく呆然としていた。私は目の前の扉をもう一度叩いた。
「何ですか?」
「私、生まれてからずっとここで生活していたので、この部屋には間違いないんですが‥」「前に住んでいた人がどこへ行ったか、ご存知ないでしょうか?」「もしかしたら別の部屋に移ったのかもしれませんが‥」
奥から男の人が出てきた。
「私達は数ヵ月前にここに引越して米たんだが、来る前にここに誰が住んでいてとかどこに行ったとかいうことは全くわからないねえ」
「はい、わかりました」「ご迷惑をおかけしました」
私は気落ちしてうなだれながら、一段一段踏みしめるように階段を下りていった。私はどうしてこんなことになったのか思いも浮かばなかった。気が動転して何をしていいのかわからなくなってきた。ただ母の安否だけが心配であった。
気をとりなおして、床屋の小父さんに会うことにした。必ず何かを知っているはずだと思った。床屋の扉を押して中に入ると、突然大きな声で怒鳴られた。
「この親不幸者!」「今頃、のこのこと何をしに帰ってきた!」「どうせ金が無くなったんでせびりにでも来たんだろうよ!」
「えっ‥」「あの…母は今どちらにいるんでしょうか?」
「ほう、知らないんだ」「全くどうしようもない息子だなあ」「おまえのお母さんは、一人でいつも寂しそうにしていたんだぞ!」「おまえさんだけが頼りだったんだぞ!」「今までどこをほっつき歩いて いたんだ!」「連絡ぐらいしてやっても‥」
「海軍に入っていまして、なかなか連絡がとれなかったもので」
「嘘をつけ!」「海軍に入っただって!」「海軍に入ってたんなら、連絡のとりようなんかいくらでもあっただろうに!」「それに軍隊に入ってりゃあ軍服のひとつぐらい支給があるだろうが…何だその薄汚い服は!」「よくもぬけぬけと嘘がつけるもんだ!」
「いえ、本当なんです」「海軍の中にもいろいろとありまして」
「だめだ、そんな言い訳して信じてもらえるとでも思っているのか!」
「‥‥‥」「あのう、母は‥」「どちらにいるんでしょうか?」
その小父さんはじっとこちらの方を見ていた。
「死んだよ」
「えっ‥」
「可哀想によ」「死ぬときまでおまえさんの名前を呼び続けていたよ」
私の目から涙が溢れてきた。
それは止まらなかった。
「おまえさんの目からも涙が出るのかい?」
何も言葉が出なかった。私は思いっきり泣いた。、
「最期までちゃんと看取ってやったからな」「別におまえさんから礼を言われようとしてやったんじゃないがな‥」
「有難うございます」
私はやっと小さな声が出せた。
「何から何までお世話になりまして、何と言っていいのか‥」
「聞きたくないよ」
「あの‥」「あの部屋にあった荷物なんかは?」
「おまえの母さんの使っていた小物類は、母さんと今も一緒だ」「手厚く葬ってやったからな」「ああいう贅沢はせめて生きているうちにさせてやりたかった‥」
「感謝の言葉もありません‥」「他の物は‥」
「あのがらくたか?」「全部捨てたよ」「おまえが戻ってくるなんて思ってもみなかったしな」「あんな物にまだ未練があるのか?」
「いえ‥」「母の思い出があれに‥」「母が私のために無理をして買ってくれた物だったんです」「でも無いとわかれば諦めもつきます」
「そうかい」
「母は墓地のどこに‥」
「おまえのようなやつに教えたくはないね!」「いつまでもここにいると、叩き出すぞ!」「商売の邪魔だ!」「早く出ていけ!」
「今までお世話になったお礼にもなりませんが・・」
「部屋代も支払われてないことと思います」「これ、私が働いて稼いだお金です」「充分な額だとは思いませんが、受け取っていただけませんか・・」「お金で失礼だとは思いますが、今の私にはこれでしかお返しができません」
「俺がその金を受け取るとでも思っているのか!」
「そんなもの、見たくもない!」「出てけと言っているだろう!」「出てけ!」
その店から飛び出すと、すぐに町の墓地に向かった。墓石を調べても母がどこに埋葬されているのか全くわからなかった。私は墓地の入口に立って黙祷をした。母に感謝をし、生きて再び会えなかったことを詫びた。
私はもうこの町に二度と帰ってくるつもりはなかった。生まれ故郷のこの町との寂しい別れとなった。あの軍船に戻ってみることにした。別にあの銃殺の威しが怖かったわけではなかった。友達になってくれた彼にもう一度会いたのがその理由であった。彼が船に戻ってくるという保証はなかった。しかしそれはそれでもいいと思った。もし戻ってこなければ、その後のことはその時にまた考えればいいことだと思った。
隣町までの道をとぼとぼと歩き始めた。この道を歩くのはこれで三回目となったが、こんなにゆっくりと周囲を観察しながら歩けるのはこれが初めてであった。幅がかなり広い道の中程に敷石がきれいに敷き並べられている。そして道の両側には背の高い木がそれぞれ一直線に植えられていて、それが遠くの方まで続いているのが見える。側にある木をちらっちらっと見上げながら歩いた。見上げるたびに、自然の力と比べたときの自分の小ささ、自然の偉大さをひしひしと感じた。
心を木のてっぺんに移すと、私をあるところから見下している意思をもったスケールの大きなある存在を観じた。自分のこの一生を終えたあとの私はどこでどうしているのだろうと歩きながら考えた。母を亡くして私は生きていく上での大きな目標をなくしていた。もともと欲のない方であったので、がむしゃらに儲けようとか、他人と競争しようとかいう気持ちは少しも起きてこなかった。『これから先、自分か死のうがどうなろうがそんなことはたいしたことではないことだ』というような思いが心の中から浮かび上がってきた。
ただしそういうことで他人に迷惑をかけるようなことは絶対にしないと心の中で反復した。そのそんなことよりも、もっと大切なことがいろいろある。いろいろとあるけれど、人と人との間では『信頼』というものがいちばん大切なものではないだろうかと思った。何かを相手に伝えようとしても、相手が自分のことを信用していなければ、伝えようとしていることを心から聞いてくれないことは身にしみてわかっていた。たとえ馬鹿にされ罵られようとも、それに挫けることの無い、人に心から真に信頼される人間になれたらいいものだと思った。
友達に会うことが目的となっていたので、躊躇せず港町までの切符を買った。汽車に乗ったが何も考えなかった。ただ、ぼおっと窓の外を眺めていた、夜になると外は真暗闇になり、窓ガラスにはランプの光に照らしだされた客室だけが映っていた。何も考えないということは心に何か良い影響があるようであった。頭はすっきりとしてきて、心は穏やかとなり、以前よりも腹がすわってきたような感じとなった。どんなことが起こっても怖くはないという感じであった。
港町に着いたが出航までにはまだ余裕があったので宿をとることにした。昼間は町の中で一人でぶらぶらとしていた。友達に会うことができるかもしれないと思ったからであった。だが知っている人には誰にも会うことがなく出航の日となった。
甲板の上で友達に会った。
「やあ、どうだった?」「お母さんは?」
私は首を横に振った。彼は私の様子を見てそれ以上何も言わなかった。二人はそのままいつもの船室まで下りていった。部屋の連中の顔ぶれは変わっていなかった、また以前と同じ生活が始まった。
ボイラー室で友達と二人っきりになったとき、私は彼の耳元でこう言った。
「お金がたまったら、二人で何か商売でも始めよう」
「うん、そうだね」「ここで一生を終えるなんていやだし・・」
「僕達に向いた新しい仕事つて何かな」
二人は辺りを見回し、この話を誰にも聞かれていないことをいちいち確認しながら、熱心に話し合った。
ある日、船室で休んでいると突然船が激しく揺れはじめた。速度が急激に上っているのがわかった。速度を緩めるとこんどは回頭を始めた。誰かが言つた。
「こりゃあ、一戦あるかな?」
船は停止と前進、後進、左右回頭を繰返しているような感じであった。突然大きな衝撃があって、床に放り出された。船が傾きだした。
「やられた!」
誰かが叫んだ。全員部屋から飛び出した。船の傾きが大きくなった。海水が船の中に入ってきた。
「もう、だめだ!」
友達がこう言って、廊下に座り込んだ。
「諦めるんじゃない!」「しっかりしろ!」「頑張れ!」「ここで死ぬ気か!」「一緒に商売をするっていう約束だろう!」
私は彼を抱えて廊下を走りだした。海水の流れが激しくなってきた。無我夢中で階段を上った。海水が物凄い圧力で身体に当ってきた。彼を横に抱えながら手摺りにしっかりとつかまり、階段を一段一段上っていった。海水の量が多くなってきたので、思いっきり息を吸うと呼吸を止めて力の限り前へ進んだ。甲板へ出てほっとしたが、船の傾きは限界ぎりぎりにまでなっていた。危険を感じてそのまま海に飛び込んだ。友達の顔をすぐに海面より上に出した。一息ついてから、仰向けになって泳いでいる自分に初めて気がついた。横の方を見ると、今まで自分達が乗ってきた船の一部分が海面上に出ていた。それはゆっくりと目の前で沈んでいった。私はそのままの格好で泳ぎながら、浮いている比較的大きな木の切れ端をかき集めた。友達がようやく気がついた。
「せっかく溜めたお金、あの船と一緒に沈んじゃったよ」「また最初から溜め直さないといけないね」
「店を持てるのはいつからかな?」
彼は目を開いて私を見た。何か言いたそうだったが、それは声にはならなかった。彼はすぐに元気になって泳げるようにもなったので、集めておいた木の切れ端を渡した。
一隻の船が私達の方に接近してきた。どうも自分の国の船ではないようである。敵国の軍艦であった。私達の目の前にその大きな船の横腹の部分がくる状態で停船した。明りが照らされると、甲板から大きな網が垂らされた。一瞬躊躇はしたが、思い切ってその網に手をかけた。そして二人でその網を上っていった。甲板に上がると、銃口を向けられた。彼等は子供のように背が低く、白いシャツや白いセイラー服を着ていた。大袈裟な動作で銃を突きつけてわざと威しているような格好をした。所持品を調ぺられたあと、後ろ手に縛られた。私達の他にも助けられた仲間達がいた、見知らぬ顔もあった。私達は仲間同士の話さえ許されなかった。海で溺れ死ぬのよりはいいと思ったが、いつ国に帰されるのかあるいは帰してくれる気があるのかどうか心配になってきた。
「自分達は船のボイラーを担当していただけであって、戦闘には参加なんかしていないし」『それに戦争なんて大嫌いだし』『いくら戦争をしろと言われても、人殺しなんかやりたくない』『そしてこの船が実際に戦争に参加するなんて思ってもみなかった』『傷つけ合いはいやだ』『縛られていても縛られていなくても、暴れるつもりなんかは毛頭ないのに』『でもこんなこと言ったって信じてくれないだろうけど‥』
我々は甲板にL字形に間隔をあけた状態で並べられ、膝を甲板についた形で座らされた。上官らしい人達が奥から数人出てきた。言葉が通じないので何を言っているのかさっばりわからなかった。彼等は黒っぽい軍服を着ていた。一番奥にいる仲間を膝だちの体形にさせ頭を前に出させた。するとその一人が刀を抜いて上から振り下ろした。身体が崩れ落ちるとともに頭部が甲板に転がった。
『何てことをするんだ!』
仲間達はみな真青になっていた。横にいる友達はあまりのショックに顔を甲板に押しつけて身体を震わしている。敵国人達は表情一つ変えていない。それを見て背筋に悪寒が走った。刀で仲間の首を切り落としたその大物は、まだ満足していないというような表情をしていた。刀を手に持つたまま次の捕虜の前に進んだ。そこにいるのは、以前私がボイラー室で大失敗したとき以来ずっと私を無視し続けてきた部屋の仲間であった。彼はあまりの恐怖のために甲板の上で海老のように身体を丸め、貝のように固くなってしまった。その男は部下達に何かを命令した。その部下達は力任せに彼を引き起こして後ろから彼の身体を支え、前の方からは彼の髪の毛を引張った。彼は悲痛な叫び声を上げた。
『これ以上、犠牲者を出してはいけない』
私はこう思いながら後ろ手に縛られたまま立ち上がり、すぐに走りだした。彼の首が切り落とされようとする前に大きな声を上げた。その男の注意がこちらに向けられた。私はその男に向かってなおも全速力で走った。男は私の真正面に立ち、刀を振り上げた。
気がっくと私は甲板の上方に浮かんでいて、甲板を見下していた。甲板の上には私の身体が真二つに縦に切り離された状態で転がっていた。男とその仲間達はたいへん満足そうな表情をしながら、もと来た方へ戻っていった。残された仲間達は放心状態にはなっているものの全員無事な様子であった。
敵国の人達のしたことについてはただただ呆れるばかりであった。それを考えるだけで寂しい気持ちになってきた。とても彼等を恨む気にはなれなかった。私に試練を与えるだけの何かの縁があったのかもしれないが、早く自分達のしたことに気がついて目が覚めてほしいと思った。私は友達の将来のことが気にかかったが、それは彼自身の力で切り開くことであるから、それを理由にここにとどまることだけはやめようと考えた。
白い綺麗な服を着た美しい女性が私を迎えに来た。私は彼女のあとについていった。途中で母に出会った。
「床屋の小父さんは、おまえにあんなに辛くあたっていたけれど、私はおまえのことが心配でずっと見守っていたんだよ」「おまえがあんなことをしなければ、おまえは助かってまだ生きていられたんだよ」「私はおまえが幸せに暮らせるように、こちらから手助けするつもりだったんだよ」「何であんなことしたんだよ‥」
「いいんだよ、あれで」「ああしなければ、一生悔やんで生きていたかもしれないし‥」「あれで良かったんだよ、お母さん」「僕は今が一番幸せだよ」
「でも‥」「あんなことまでしなくても‥」
「あれでいいんだよ」「僕はもっと先に行かなければならないんだって」「先に行ってるからね」「あとから来てね」「待ってるからね」
「でも‥」
案内役の女性と私はさらに明るい方角を目指して飛んでいった。
管理人の所感
志摩川さんの前生の青年と床屋の男性が青年の母親を想う気持ちは同じように大きいのに、年老いた母親を残して長いこと戻らなかった青年を床屋の男性は許すことができませんでした。
心のヒーリングをしていると要らない潜在意識がクリアになって、初めは何も感じなかった人が、段々と人の悲しみや辛さが伝わって来て分かるようになってくることがあります。
人間は元々は一つで、魂の根底では蓮の葉のように繋がっているために愛が深まると自他一体感が現実化してきて人の思いが伝わるようになるのだと思います。
Art & C.G. Tomoshige Shimagawa
ですからユートピアが実現すると、青年と床屋の男性とのようなことはなくなるのです。
それにしても母と子二人の家族が離れ離れなれになってしまうのは、読んでいてそれだけで辛いものです。まして母親に会えると喜び勇んで駆けつけたのになくなっていたとはさぞ落胆されたことでしょう。
親子離れ離れであっても、今であれば電話やメールで元気なのかとの様子がすぐに分かります。
しかし電気のない時代にはさぞやお互いが心配することが多かったでしょう。それだけ会う時の喜び、ワクワク感を想像することは容易なことです。
それにしても志摩川さんの人生は自己犠牲をとることが頻発しています。
ただそれは犠牲とは言えないのです。愛の世界には犠牲など存在していないのです。
それは魂の瞬間的な思いであり、自分がしたいこと… だからです。
だから実際にあの世で母親に叱られても後悔の念を持っていません。
犠牲になっているのは永遠の命を持つ魂ではなくて、心に宿っている執着心であり、心が洗われるのです。
魂は研磨されることでまた一歩、成長を遂げているのです。
そして死後は、母親と再会するも束の間、直ぐにそれぞれの波動に応じた霊界に行くことになります。
親子はまたすぐに離れ離れになる運命なのです。
厳格な意味でのソウルメイト(私たちが気軽にソウルメイトなどと言っているアバウトな意味でない)以外は、何度も言っていますが家族であれ冥途で待っていても、霊界の入口から上昇していく途上以外は会うことはできません。